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赤ポスの随力筆喜

はじめに

 はじめまして
赤ポスと申します^^

随力筆記(ずいりきひっき)というタイトルで自由なことを書いていこうと思います。


末法の仏法は
全人類の
歓喜に化ける
生命哲学です^^

『池田先生インド・ブッダガヤの地 訪問』(1961.2.4)
より
七七満49周年
展転明50周年
へ向う
開く義80周年
を祝して
この善き日に
随力筆記始む

 2010.2.4

(2010.12.7
記を喜にブログ名改名)

  赤ポス拝^^





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  1. 2030/11/18(月) 00:00:00|
  2. 挨拶
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  4. | コメント:8

お知らせ

 ここ最近、自ブログページと自ブログ管理ページが、
開かない状態になることが多く、
閲覧者の皆様には大変ご迷惑おかけして申し訳ありません。
m(_ _)m赤ポス謝



「書くな魔」のアホ!
^^;
原因は僕の操作ミスか、携帯が古くなってきたためなのか…
ちょっとわかりませんが…
壊れきるまで書いてみます
''/



  1. 2011/06/13(月) 00:00:00|
  2. 挨拶
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報恩抄愚釈83

 (続き^^)
 (304頁10行目~)

 大日経の解釈書に『理同事勝』と書かれているけれども、
【伝教大師は】これは善無畏三蔵の誤りだ!大日経は法華経よりも劣っている!と、覚知されて、
(6宗プラス天台宗と真言宗の2宗で)
8宗とはしないで、真言宗の名を削り、
【法華宗の内に入れ】7宗と【みなして】
大日経のことを、法華天台宗の傍依経(ぼうえきょう)だと位置付けして、華厳経や大品経や般若経や涅槃経などのような借りの教え(権経)であると自覚された。



(☆!'ー'!)
(僕はこの
【法華宗の内に入れ】
という報恩抄の御文に「なんで入れるねん!(゚д゚)」
って
読み初め物凄く引っ掛かりましたが、
これは、大聖人が伝教の知覚されたことを御書に認める際に用いた【表現】だと感じて!ようやく納得いきました^^/

はじめ「なんで混ぜるねん」(怒)って早合点してました。すいません。おー危な(笑)'')



   (続く^^)




  1. 2011/06/12(日) 00:00:02|
  2. 随筆
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報恩抄愚釈82

 (続き'')
 (304頁10行目~)

 『真言』と『止観(天台の仏法)』の2宗の勝劣(内容の高低浅深関係についての問題)は、中国には多くあり、それぞれ詳しく書かれているけれども、…
また、大日経の解釈書を見れば
『理同事勝』とかいてある。…


(''あー あの妙楽大師さんの中国拳法…
いや(^人^;)もとい(謝)
中国妙法を究めた…(謝愚笑;しまいに怒られるで(爆)^^;…)
『弘決』『釈セン』『ジョ記』とかあるけど、そうかと思えば、インドから中国へ渡らす際に善無畏らが悪巧みで造った『解釈書』とかあるし、ほんまにむちゃくちゃな状態でしてんな''…)


しかし!
【伝教大師】は、
【善無畏三蔵の誤りなり!】と見抜かれました。
\^o^/


ヨッシャ!
ナイス伝教!^^
この当時によう見抜いたなぁ(凄)


よっしゃこのまま
もうすんなり末法まで来てくれ~
って
どうせすんなり来ませんねやろ(爆)^^



   (続く^^)




  1. 2011/06/12(日) 00:00:01|
  2. 随筆
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報恩抄愚釈81

(伝教は中国で『天台』と『真言』を学び尽くして日本に帰ってきました。…)
(愚釈80の続き'')
(304頁9行目~)

 (そして、)桓武天皇に対面されて、『宣旨を下して』(習ってきた天台宗を天皇に授けられて)、六宗の学生(がくしょう)(六宗の僧侶)たちには、『止観』『真言』を習学させて、六宗のものたちの7箇寺に置かれた。


(※ <備考>
''ここのところは、
【撰時抄】
(276頁)では、
『日本国の伝教大師・漢土に わたりて 天台宗を わたし給うついで(次序)に 真言宗を ならべわたす、天台宗を日本の皇帝に さずけ 真言宗を六宗の大徳に ならはせ給う、但(ただ)し 六宗と天台宗の勝劣は入唐已前に定めさせ給う』

と記されてます'')



   (続く'')



  1. 2011/06/12(日) 00:00:00|
  2. 随筆
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報恩抄愚釈80

(伝教大師は延暦23年7月に中国に行きました)
(愚釈79続き^^)

 そして、西明寺(さいみょうじ)の
【道ズイ(どうずい)】和尚というかたと、
仏滝寺(ぶつろうじ)の
【行満(ぎょうまん)】というかたなどにお会いして…

(…※「道ズイ」と「行満」のお二人は、二人とも、あの天台大師の200年余り後に出て来られた
【妙楽大師(みょうらくだいし)】のお弟子さん とのことです'')


伝教大師はこの二人に
『止観円頓(しかんえんどん)の大戒』
(天台の理の一念三千のこと)
を習い教わり把握されました。

そして、
霊感寺(れいかんじ?りょうかんじ?読みちょっとわかりません。すいませんm(..)m)
の【順暁(じゅんぎょう)】和尚というかたに会って、
『真言』のことを習い教わり把握されました。


(両方確認したって凄いですな'')


そして、(約一年後の)延暦24年6月に日本国に帰ってきました。



(''おー帰ってきた帰ってきた(笑)^^)



   (続く^^)




  1. 2011/06/11(土) 00:00:01|
  2. 随筆
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報恩抄愚釈79

(そんなこんなで善無畏の捏造した大日経が日本国に渡ってきました。(怒))
(愚釈71の続き^^)
(304頁6行目~)

 これら(日本に渡ってきた大日経)を
【伝教大師】は閲覧されましたが、
『大日経』と『法華経』との勝劣関係は一体どうなっているんだ?
と内容的に『かたがた不審ありし故に』物凄くややこしい内容になっていることに疑問を抱かれました。

(''そらせやわ!あの善無畏と一行禅師が悪巧みして大日経の内容を造り替えたものやから(怒))

そして伝教大師は、延暦23年7月に『御入唐』されました。


(中国に確認をしに行くって根性ありますな^^)



   (続く^^)



  1. 2011/06/11(土) 00:00:00|
  2. 随筆
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愚釈78エピソード1

 (続き'')

『されば汝(なんじ)がかくべきやうは…』(276頁5行目)

 そして、善無畏は悪巧みして一行禅師に『大日経の解釈書』を書かせた内容は、水と乳を混ぜ合わせて一味にしたように、大日経と法華経を混ぜ合わせた内容で、
(\`O´/混ぜるな危険!)
『理』においては『同じ』だと主張し、『事相』においては、表面的な装飾品や形式主義の『印と真言』があるので、法華経は裸一貫だと主張し、真言宗は甲冑を着た将軍のようなものだ。
よって『理同事勝』という、善無畏と一行禅師との悪巧みが成就し、捏造経、捏造宗がここに誕生しました。
見事に宗教そのものを覆し、【架空如来第一】とたて、亡国の因がここに成就されたのです。

【たぶらかされないようにご注意下さい''/】



  (エピソード1っていうか撰時抄愚釈ともいうべきもの終わり^^)

  (報恩抄愚釈へ)  (続く^^)



  1. 2011/06/08(水) 00:00:01|
  2. 随筆
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愚釈77エピソード1

 (続き'')

 善無畏はさらに、
『大日如来は法華経のことを大日経と名付けて金剛サッタに向かって説いたことにして…
これを大日経と名付けたと。…
私はそれをインドで目の当たりに見たことにしよう…
(-_-)ヒヒヒ』


(大日如来って実在してないど!(笑)^^
住所とか年齢とか両親誰か教えてほしいです(笑)^^
ウルトラマンでさえウルトラの父・母の設定あるくらいやで!(爆)^^
大日如来は現実性ないど!(爆)^^
よう出会った設定にする発想思い浮かべたな(笑)^^
ある意味凄いわ(笑)^^)



   (続く^^)


  1. 2011/06/08(水) 00:00:00|
  2. 随筆
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愚釈76エピソード1

 (続き`´)

 『爾(そ)の時に善無畏三蔵大に巧(たくら)んで云(いわ)く』(276頁1行目)

(`´完全に悪意あるな!)

 善無畏は巧みました。
『大日経のなかに住心品という品がある。
この品の内容を、無量義経が四十余年の経々を破折しているのと同じ意味合いだということにしよう!(-_-)ヒヒヒ』

(`´その経自体四十余年の経の内に入ってるで!(笑)^^)

さらに、
『大日経の入漫陀羅(にゅうまんだら)已下の諸品は中国では別々の経だが、インドでは同じものだったことにしよう(-_-)ヒヒヒ』

(`´インドでも別々やど!(笑)^^)

さらに、
『釈迦仏は弟子の舎利弗や弥勒にたいして、大日経のことを法華経と名付けて教えたということにして…(-_-)ヒヒヒ』

(逆や!法華経を教えるために、仮に説いた教えの爾前の経々の内の一つが大日経にすぎないんやど!)
さらに、
『印(いん)と真言(しんごん)を外した法理ばかりを説いたものを羅什三蔵(らじゅうさんぞう)がインドから中国へ渡し、それを天台大師が見たことにして…(-_-)ヒヒヒ』

(法華経は一念三千で生命全体を説き尽くしてるで!
ほんで、印と真言は手の働きや口の働きを部分的に説いてるだけやで!
偏った教えで装飾品で特徴付けてるだけや。
本来の人間の生命力からみたら、まやかし物や印と真言は!
(`ヘ´))



   (続く`´)


  1. 2011/06/07(火) 00:00:05|
  2. 随筆
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愚釈75エピソード1

 (続き`´)

 一行(いちぎょう)は、『大日経の解釈書』を書き造る際に、
「…ええ。まぁ書きますけど、…ただ、法華経の序文に当たる
【無量義経】で、
前四十余年の色々な経々を破折してますし……
【法華経の法師品や神力品】で、
後の経々を破折してますし……
【大日経】の経の位をどんな位置に置くように書き造ればいいんでしょうか?……」


(出たで出たで捏造相談!(`ヘ´)
新訳華厳に書き替えの法蔵法師(ほうぞうほっし)のオッサンとおんなじようなこと企(たくら)んでるで!このアホら!)



   (続く`´)



  1. 2011/06/07(火) 00:00:03|
  2. 随筆
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愚釈74エピソード1

 (続き^^)

 そんなときに、天台宗の学僧で、
【一行禅師(いちぎょうぜんじ)
又の名を、
一行阿闍梨(いちぎょうあじゃり)】
という愚かなくせ者と出会います。
`´

善無畏(ぜんむい)と一行(いちぎょう)は仏法対話します。

一行は善無畏にコロッと騙されて、たぶらかされて、善無畏の言うことに感化されて信用してしまいます。
(アホ`´)

そして善無畏は、あの天台が「法華経の解釈書」を造ったように、「大日経の解釈書」を書いてくれないか?
と一行に対して悪巧みの話を持ち掛けます。

一行は「お安いご用で。」と悪巧みに協力してしまいます。



   (続く`´)



  1. 2011/06/07(火) 00:00:02|
  2. 随筆
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愚釈73エピソード1

 (続き^^)
エピソード(笑)っていうか、『撰時抄』に記されている内容によりますと、

 【善無畏(ぜんむい)】は大日経をインドから中国や日本に渡らせました。
もともと『大日経』は、爾前権経の教えです。
実経たる『法華経』を理解させるために、衆生の機根を整えるために説かれた権(か)りの教えで低い内容の教えです。

そして、事相の面でいえば、【印(いん)と真言(しんごん)】を大層に言ってますが、『印』は指先でヘンテコリンな特別な形を表したりするもので、手の働きをもっともらしく形どっていますが、所詮部分論で、生命全体の教えじゃないです。
『真言』は一種の呪文で、口の働きをもっともらしく表してますが、所詮部分論で、これまた生命全体の教えじゃないです。

もともと大日経自体は、【爾前権経】ですので、
善無畏三蔵は
このまま普通に、
大日経を渡らせたら、華厳宗の者や、法相宗の者や天台宗の者たちなど
皆にバカにされてしまうだけなので、
何とかしてやろうと、悪巧(わるだく)みを考えました。



   (続く`´)



  1. 2011/06/07(火) 00:00:01|
  2. 随筆
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愚釈72エピソード1

 報恩抄本編から話逸(そ)れたら、誠に勿体無い限りで恐縮なことですが、あまりにも腹立つことなんで、エピソード1(笑)っていうか番外編の余談で、あの善無畏(ぜんむい)のアホの悪巧(わるだく)みを書いておきます。
(`ヘ´)

まるで、時代劇に出てくる悪代官と越後屋の会話で『お主も悪よのう(--)いえいえお互い様で(--)ヒヒヒッ(小判チャリ~ン)』みたいな発端から、それは始まりました。

大聖人は【撰時抄】の275頁~276頁に真言宗のことを、
『大僻見(だいびゃくけん)なり
あらあら此れを申すべし』
と詳しく経緯(いきさつ)を述べておられます。



   (続く^^)



  1. 2011/06/07(火) 00:00:00|
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報恩抄愚釈71

 (時は像法時代。日本国に仏法が渡り、六宗がはびこり、最澄(伝教大師)が桓武天皇見守るなか公場対決にて法華経根本を宣揚し、六宗は伝教の『法華経第一』に帰伏しました。
天台・真言の2宗はまだ日本に興っていない。……)

 (愚釈70の続き^^)
(304頁5行目~)


 【真言宗】が日本にはじめて渡ってきたのは、人王第44代の元正天皇の時代に、あの【善無畏(ぜんむい)三蔵】が大日経を渡らせてきて、それを弘通しないで、中国へ帰っていきました。

また、玄ボウ(げんぼう)等が大日経の内容を解釈した書物14巻を渡らせてきました。
また、東大寺の得清大徳を渡らせてきました。



(よぅのうのうと持って来やがったなコイツら!(`ヘ´))

  (愚釈エピソード1へ続く^^)




  1. 2011/06/06(月) 00:00:01|
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 今日は創価の父、牧口先生の生誕140周年の記念の日です。
大変おめでとうございます
\(^^)/(慶祝)

 今日の聖教新聞に婦人部60周年を祝して池田先生のメッセージが掲載されています。
ブラジルの母という方が、じつに『640世帯』を越える弘教を成し遂げて、一家で『千世帯の折伏を目標に、皆で対話を広げています』とのこと!(驚嘆)''

激凄です!''

そして池田先生の決心が掲載されています。
(抜粋)

『尊き母たちを断固として守り抜いてみせる。母たちを侮辱(ぶじょく)したり、いじめたりする者は断(だん)じて許(ゆる)さない。そして、母たちの幸福な笑顔が輝く平和の世界を絶対に築(きず)いてみせる――。

 これが、牧口先生、戸田先生の【お心を心として】、三類の強敵と戦い抜いてきた、私(池田先生)の19歳からの
【岩をも通す決心】であります。』

と心情を発信されておられます。''

生命根源からの親孝行に努めてまいります。''
偉大なる世界の婦人部に只々感謝あるのみです。
(大感謝)('人')


  1. 2011/06/06(月) 00:00:00|
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縁(えにし)

 先日、5月4日の聖教新聞に戸田先生の写真と和歌が掲載されていて、有名な和歌なのですが、生(なま)の筆跡で記されているものを初めて拝見したので、とても感動しました。''

 牧口先生と池田先生の写真の間(あいだ)に、この戸田先生の写真と和歌とを、新たに自宅の額に入れました。^^

【現在も
  未来も共に
   苦楽をば
 分けあう縁
  不思議なるかな】

写真は5・3当時のものとのことですが、
戸田先生から池田先生に贈呈された日付は、60年前の ちょうど今日の日付が記されてます。^^

厳粛です。''
生命は永遠で
師弟も永遠なんですね''…

SGI万歳!
\(^^)/



  1. 2011/06/01(水) 00:00:00|
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報恩抄愚釈70

 (続き'')

 この喜んでいる14人の者たちは、
『華厳宗(法蔵・審祥)』や、
『三論宗(嘉祥・観勒)』や、
『法相宗(慈恩・道昭)』や、
『律宗(道宣・鑑真)』などの、
中国や日本で興った宗教の元祖たちの法門を実践する立場の者たちであるけれども、
【瓶(びん)は かはれども 水は一なり】
立場は違えど求めてきた教えは一つ【法華経】だったんだ!という態度になられて、
それぞれの元祖たちのバラバラの主義主張の【邪義を捨てて】、
【伝教大師の法華経に帰伏】されたという事態が起きたということは、
今後一切、誰であろうと末法の人々は、『華厳経』『般若経』『深密経』などの諸経は【法華経】よりも勝れているなどとは言えないはずである。

\^^/

 小乗教の三宗(倶舎・成実・律)は、14人側の者たちはすでに学ばれた教えであって、それよりも勝れている大乗教の三宗(華厳・三論・法相)の教えをも伝教大師が破折したということは、小乗三宗・大乗三宗、計 六宗全てが伝教大師に破折されたということである。
\(^^)/

それでも、この経緯(いきさつ)を知らない者たちは、六宗はいまだに破折されていないと思っている。
例えば、下ばかり見ていて、天の日月に気付かなかったり、考え事ばっかりしてて、外音に気付かないようなものである。
日月なんか出てなかったとか、そんなこと聞いてなかったとかというようなものである。



(伝教大師やりました\(^^)/)



   (つづく^^)




  1. 2011/05/31(火) 00:00:01|
  2. 随筆
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報恩抄愚釈69

 (続き'')

 また、14人側が言うには、
『善議等牽(ひか)れて休運(きゅううん)に逢(おう)て』
善議とかの14人の者たちは宿縁に導かれて、
『乃(すなわ)ち奇詞を閲(けみ)す』
法華経の素晴らしい妙理を聞くことが出来た。
『深期(じんご)に非るよりは』
深い因縁がなければ、
『何ぞ聖世に託せんや』
どうして法華経のことを聞けるという尊き世に生まれることができましょうか。
と喜びました。



(えらい喜んでますね^^)


   (つづく^^)



  1. 2011/05/31(火) 00:00:00|
  2. 随筆
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報恩抄愚釈68

(愚釈続き^^)
(303頁15行目~)

 弘世と真綱の二人の臣下が言うには、
(※弘世(ひろよ)と真綱(まづな)という二人は最澄に帰依していた兄弟とのことです。
ここまでは判ったんですが…臣下となってるんで、この場に立ち会っていた桓武天皇の臣下ということなんでしょうか?…んー歴史音痴でちょっと判りませんスイマセンm(,,)m)

『霊山の妙法を南岳に聞き総持の妙悟を天台に闢(ひら)く』
(法華信仰を貫いて妙法を唱えたままで成仏されたという南岳大師のことを聞き霊山の妙法の素晴らしさを知り、一念三千の教えたる法華経の素晴らしさを天台の教えによって14人の方々は気付かれた。)
『一乗の権滞(ごんたい)を慨(なげ)き三諦の未顕を悲しむ』
(それなのに、一乗法である法華経に爾前権経を混(まじ)えたままでおられることは嘆(なげ)かわしいことであり、空仮中(くうけちゅう)の三諦の法門を未だにあらわせていないことは残念なことであります。)

と、弘世・真綱の二人は述べておられます。



(''なんや!今まで伝教が六宗に勝ってスッキリ勝(が)ちしてたんかなぁと思ってましたけど、最澄側と14人側は公場対決で法華経側の最澄勝って、一件落着かなぁと思ってましたが、法論対決終わっても、14人側は権経混じってても法華経の法理さえ理解したらええ的立場の主張してて、最澄側は権経を混ぜない【法華経のみ】の主張してて、深い大事なところでは意見食い違ったままでしてんな'')



   (つづく^^)




  1. 2011/05/30(月) 00:00:00|
  2. 随筆
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報恩抄愚釈67

(愚釈66続き^^)
(303頁13行目~)

 【最澄】は、それぞれ14人の者たちの言いぶんを判断されてこう言いました。
『各一軸を講ずるに法鼓(ほっく)を深壑(しんがく)に振(ふる)い賓主(ひんしゅ)三乗の路(みち)に徘徊(はいかい)し義旗(ぎき)を高峰に飛(とば)す』
(14人それぞれの者たちが、それぞれの持っている一つの経典を一生懸命になって主義主張しているが、それは爾前権経の教えである三乗の教えを、ただ声高に主張しているに過ぎない。)
『長幼三有の結をサイハして』
(老いも若きも、ベテランも新人も、三界の煩悩を打破したと喜んでいたとしても)
『猶(なお)未(いま)だ歴劫(りゃっこう)の轍(てつ)を改めず』
(なおそれでも、即身成仏の法華経ではない爾前権経である歴劫修行の教えに執着して、そのレールをいまだに改めずにいて)
『白牛(びゃくご)を門外に混ず、』
(大白牛車たる法華経を爾前権経と同じレベルだと混同している、)
『豈(あに)善(よ)く初発の位に昇り阿荼(あだ)を宅内に悟らんや』
(どうして、未顕真実たる爾前権経を混同している状態で、法華経を信じて悟っていると言えるのであろうか!)

と最澄は言っています。


(法華経が勝れていると14人が承伏状を書いていても、最澄は権経が混じったままでそんなこと言ってもアカン!って、そのへんはハッキリ破折してはりますな'')


   (つづく^^)




  1. 2011/05/29(日) 00:00:04|
  2. 随筆
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報恩抄愚釈66

(愚釈続き^^)
(303頁12行目~)

 さらにまた、
『三論法相・久年のアラソイカンエンとして氷の如く解け照然として既に明かに猶雲霧を披(ひら)いて三光を見るがごとし』
(三論宗と法相宗が永年にわたり激論を交わし※熱気を帯びていたが、…)
(''※ってあれ!?三論と法相の間で、この人らはこの人らで激論を交わしてましてんな(笑)全然知らんだ(笑)^^忙しっ!^^プププ)
(…最澄の主張(法華経第一)により根本的疑問が太陽を浴びた氷が溶けるがごとく解けて、はっきりと明らかになり、雲や霧を払って三光(太陽・月・明星)の輝きを見るがごとき境涯になった。)

と書かれている。



   (つづく^^)




  1. 2011/05/29(日) 00:00:03|
  2. 随筆
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報恩抄愚釈65

 桓武天皇が見守るなか、最澄1人と六宗側の14人が公場対決し、最澄が勝利し、負けた14人側は『謝表』法論が決した証拠文書を書きました。

(愚釈64続き^^)
(303頁10行目~)

 その書を見ると、
『七箇の大寺六宗の学匠乃至初て至極を悟る』
(七箇所から来た六宗の14人の者たちは、初めて法華経が一切経のなかで第一に勝れていることに気づく)。
と書かれている。

あるいは、また、
『聖徳の弘化より以降(このかた)今に二百余年の間講ずる所の経論其数多し、彼此(かれこれ)理を争うて其の疑未だ解(と)けず而(しか)も此の最妙の円宗猶未だセン揚(せんよう)せず』
(聖徳太子が仏法を弘め教化し始めてからこのかた200年余りの間に、仏法のことを講じてを宣揚する経論は数多く出てきた。かれこれそれぞれが仏法の極理について言い争っていながら、どの教えが正しい教えであるのかという根本的な疑問をいまだに解決していなかった。しかも、このすべての者を成仏させる法である法華経をいまだに宣揚していなかったことに気づいた。)
と書かれている。
……



   (つづく^^)




  1. 2011/05/29(日) 00:00:02|
  2. 随筆
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  4. | コメント:0

報恩抄愚釈64

(愚釈続き^^)
(303頁9行目~)

 (この事態に桓武)天皇は驚いて、
(゚д゚;)
『委細に御たづねありて』
事態を把握するために、くわしく事情を訊かれて、
『重ねて勅宣を下して十四人をせめ給いしかば』
(桓武天皇は)重ねてご命令を下して14人側を責められた。

(''「最澄の主義主張に誰も言い返せないというこの現実は一体どういうことなんだ!」とでも激怒されましたんかなぁ(笑)'')

そしたら、
『承伏の謝表を奉りたり』
(7箇寺の六宗14人側は「参りました」m(_ _)mと自分たちが邪見であったことを認め、負けを認める謝罪文を書きましてんな!)
(…凄いっていうか、素直っていうか、この当時は法論のルールがしっかり守られてる時代でしてんな
'')



   (つづく^^)




   
  1. 2011/05/29(日) 00:00:01|
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報恩抄愚釈63

(愚釈続き^^)
(303頁6行目~)

 そんなこんなで、
 延暦(えんりゃく)21年1月19日に、【桓武天皇(かんむてんのう)】が高雄寺(たかおでら)に出向かれた際に、
7箇所の寺の偉いさんの方々14人
①善議(ぜんぎ?)
②勝ユウ(しょうゆう)
③奉基(ぶき)
④寵忍(ちょうにん)
⑤賢玉(けんぎょく?)
(けんだま とは読まへんやろな(笑)^^;)
⑥安福(あんぷく?)
⑦勤操(ごんそう)
⑧修円(しゅえん)
⑨慈コウ(じこう)
⑩玄耀(げんよう?げんき?げんこう?)
(ちょっと読みわかりません。すいません。m(_ _;)m)
⑪歳光(さいこう?)
⑫道証(どうしょう?)
⑬光証(こうしょう?)
(アカン(笑)^^
どうしょうこうしょうって筋違いなところで笑ってしまいました^^すいません
(^人^;)(笑))
⑭観敏(かんびん?)
等の、10数名を召し合わせました。

華厳・三論・法相などの人々は、それぞれ、自分たちの宗教の元祖の主義主張を変えずに、そのまま主張してきました。
一方、【最澄(伝教大師)】は、六宗の人々の言いぶんに対して、一つ一つ、『牒(ちょう)』を取り、
(''あの以前天台が法雲一派に対処したやり方と一緒ですな^^)
牒を取り、本経・本論(法華経の経文や天台の釈などを述べて正義を主張し)、並びに(それと同時に)、諸経・諸論(法華経以外の経の経文や、諸経は法華経よりも劣っている旨を述べて、)『指し合わせてせめしかば』(一つ一つ丁寧に14人側の主義主張の矛盾していることを責められたら)、
『一言も答えず口をして鼻のごとくになりぬ』
(14人側は、一言も言い返せずに、口をつぐんで鼻のように黙ってしまった)

(''『口をして鼻のごとく』って面白い表現で、この状況を如実に言い表してますな^^)
\(^o^)/
最澄ようやった!
ありがとう!



   (つづく^^)




  1. 2011/05/29(日) 00:00:00|
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報恩抄愚釈62

(愚釈続き^^)
(303頁4行目~)

 (最澄は六宗の邪見を糺す使命感に自発的に立ち上がられて、)
「日本国の人は皆、謗法の者を糺さずに師弟檀那となって、謗法の者のいいなりになっているということは、天下を乱している元凶ということだ!」
と感得されて、
六宗を批難されました。(''!おっ!)

そしたら、批難されたほうの七大寺・六宗の宗教関係者のお偉いさんの方々は、
蜂の巣を突っついたような大騒ぎになり、
南都六宗がカラスの大群のように皆騒ぎました。
七大寺・六宗の者たちは悪心強盛です。
(-"-#)
(`θ´)
(`ε´#)/
(-o-#)∠☆PAN!



(同じようなこの状況パターン以前どこかであったような(笑)
^^;)

(最澄負けるなよー
法華経の未来のためにも!''/)



   (つづく^^)



  1. 2011/05/27(金) 00:00:00|
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報恩抄愚釈61

 (続き^^)
 (302頁最後の行~)

 (最澄が)ある人に訊(たず)ねたら、
そのある人が言うには、
「大唐(だいとう)の揚州(ようしゅう)というところに竜興寺(りゅうこうじ)の僧で【鑑真(がんじん)和尚】というかたがおられた。
このかたは、天台の末学・【道セン律師(どうせんりっし)のお弟子さん】にあたるかたで、天平宝字の末の頃に、日本国に渡ってきなすった。…
そんでもって、
小乗の戒壇を東大寺などに弘通なされた。
…しかし、
【天台の御釈】を持って来られたけれども、それを弘めることは、なさらなかったんじゃ。
…たしか、人王第45代の聖武天皇の御宇の頃じゃった。」

(※【お詫び】喋り口調は赤ポスの妄想ですので、厳重にご注意くださいませ。
m(_ _)m)

と(そのある人が)語りました。

(そのある人の語ったことに対して、最澄は)
その書(【天台の御釈】)を見させて頂きたい! と申し出されて、その書を拝見したところ、
【!(・o・)☆】
『一返御らんありて生死の酔をさましつ此の書をもつて六宗の心を尋ねあきらめしかば一一に邪見なる事あらはれぬ』
(最澄は天台の書を一返閲覧されて、生死の問題を(最澄次元で)解決されて、酔いを醒まされ、なおかつ、この【経文を根本にして展開されている天台の書】を根本にして六宗の心を照らし合わせてみたら、明らかに六宗の一宗一宗が邪見であるということをハッキリと把握されました。)
\(^o^)/

やりよったなぁ!



   (つづく^^)




  1. 2011/05/26(木) 00:00:01|
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報恩抄愚釈60

 (日本に仏教が渡り、六宗が乱立している状況下…。
二宗(天台・真言)はまだない頃…。)

 (愚釈つづき^^)
 (302頁15行目~)

 桓武(かんむ)天皇の時代に、
【最澄】(さいちょう)という小僧がいてました。
(''お!伝教大師のことやな(笑))

 最澄は、山階寺(やましなでら)の行表(ぎょうひょう)僧正というかたの御弟子さんです。
 まず、法相宗を始めとして、六宗すべてを習い究めていかれましたが、仏法というものをいまだ極め尽くしていないと思われていたところ、華厳宗の法蔵法師が…
(''例の新訳の華厳経といって天台の一念三千を盗み入れた奴やな(`o´)(憤))
…華厳宗の法蔵法師が造った『起信論』(きしんろん)という【ジョ】(※ジョ って論文みたいにまとめた自説やな''…)
を、最澄が読んで見たところ、天台大師の釈を引用文として掲載してあった。
そこで最澄はこの起信論のなかの天台大師の釈に引っ掛かりを覚え、このジョの中の天台の釈が『子細ありげなれ』大事なことを詳しく述べられていると感じ取られ、この天台の釈は日本に渡ってきているのか?、それとも、まだ渡ってきていないのか?
と いぶかしげに思い気になって、ある人に訊ねてみたら、………



   (つづく^^)




  1. 2011/05/26(木) 00:00:00|
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報恩抄愚釈59

 (つづき^^)
 (302頁13行目~)

 そののち、人王第37代・孝徳天皇の時代に、
①三論宗(さんろんしゅう)
②華厳宗(けごんしゅう)
③法相宗(ほっそうしゅう)
④倶舎宗(くしゃしゅう)
⑤成実宗(じょうじつしゅう)
が日本に渡ってきた。

 人王第45代・聖武天王の時代に、
⑥律宗(りっしゅう)
が日本に渡ってきた。
以上六宗である。

 孝徳天皇から人王第50代・桓武天皇までの十四代に亘る120年余りの間には、
⑦天台宗(てんだいしゅう)と
⑧真言宗(しんごんしゅう)の
二宗は、まだ日本に渡ってきていなかった。



(''まだ天台・真言の二宗が日本に渡ってきていない時代に、聖徳太子は【法華経】を読誦してたって凄すぎますな!'')
(唖然)



   (つづく^^)




  1. 2011/05/25(水) 00:00:00|
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報恩抄愚釈58

(愚釈57つづき^^)
(302頁11行目~)

 (そんなこんなでいよいよ日本国です^^/)
 日本国には、人王第30代・欽明天皇の時代の13年壬申(みずのえ さる)10月13日に百済(くだら)国より、一切の経と釈迦仏の像が渡ってきました。

 また、用明天皇の時代に【聖徳太子】(しょうとくたいし)が仏法を研鑽し始めて、和気の妹子という臣下のかたを中国に遣わせて、【法華経】を取り寄せて、持経と定められました。
(さすが聖徳太子!''
わかる人はわかりますんな(超凄)'')

(※ちょうど大白蓮華2011-6月号の『中興入道消息』(なかおきのにゅうどうしょうそく)の池田名誉会長講義のなかで、先生が聖徳太子について講義されてます。)
【参考講義大白6月号39㌻より抜粋】
【すなわち、当時の日本の人々は、三世の生命の因果を説く仏教を知らなかった。そのために、生死の問題に、なすすべをもたなかったのです。
 しかし、その価値を見いだす『智者』がいました。それが『聖徳太子』です。仏教を受け入れるかどうか、とまどいと反発のある中で、一国の太子である『聖徳太子』が率先して、『仏教の根本をなす釈迦仏に帰命』し、『法華経を読誦』しました。これを端緒として、日本国中に仏教が広まることとなった。このように大聖人は指摘されています。
 実に、一人の人間の精神的な飛翔こそが、新しい思想の潮流を開く源流になるのです】

と講義されてます。
\(^o^)/




   (つづく^^)





  1. 2011/05/24(火) 00:00:01|
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