FC2ブログ

赤ポスの随力筆喜

1・命

 我々は年々歳をとる。
じっとしていても、
寝ていても、
走り回っても、
あきらめてボーッとしようとも、
歳をとらないようにがまんしようとしても、
ともかく歳をとる。

これは誰でもが納得できる当たり前のことだ。

では、
この当たり前の
赤ちゃんが、
一瞬一瞬。
一秒一秒。
一日一日。
一年一年。
歳をとり続けて、
歳をとり、

気付けば、
お兄さん
お姉さん
になっていて、

また気付けば、
お父さん
お母さん
お爺さん
お婆さん
になっている事実も、
当たり前のことである。


すると【命】と言っても、

一瞬一瞬が続いているものであり、

誰も止めることのできない、
太陽や月を動かしている、

【大宇宙の一大法則】が、

ちゃんと誰の【命】をも貫いているのであり、

誰人も、
どんな動物も、
どんな植物も、
太陽も、
月も、
星も、
銀河も、

みんな貫いている。


だから、
我々の
【命】と、


大宇宙大銀河を
動かしている
【一大法則】は、


実は、【同じもの】である!!!
\(^o^)/

ということが、

当たり前に、納得できます。

【宇宙生命の根源が誰人の内にも常にある】ということです!!!
^^

一切の変革も幸不幸もここから始まるのです!!!
\(^o^)/




スポンサーサイト



  1. 2010/02/04(木) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2・無始無終

前回大宇宙の法則と我々の命が実は同じものである
と当たり前に納得できたところまでいきました

今回は無始無終についてです^^

じゃあ、当たり前に納得できたその我々の命である宇宙の法則は始まりがあるのであろうか?無いのであろうか?
一般的にビッグバンが宇宙の始まりとされてますが
法則が大宇宙を貫きわたっているのでビッグバンも一度きりじゃなく
赤ちゃんがお爺さんやお婆さんにまで続いたように何度でもビッグバンを繰り返し数えきれないほど永久に次から次へと『命』の法則は貫いて続いていて
どれが最初のビッグバンなのか特定できません
永遠に宇宙は成住壊空と言って出来ては壊れの繰り返しを物凄い時間をかけて繰り返してます
だから
特定する始まりが無いんです
そして終わりも無いんです
元々、本来、ズーッと続いているということが当たり前に納得できます^^

よって命は宇宙は
『無始無終』に永久に続いてるものと当たり前に納得できました^^



  1. 2010/02/04(木) 00:00:01|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3・五大の種

地水火風空
という五大の本質で大宇宙は成り立っています

この本質は私たちも同じ本質で構成されてます

地→大地や星々や固まりは私たちの肉体であり
水→川や海は私たちの血液や体液や水分であり
火→マグマや炎は私たちの温もりや熱であり
風→そよぐ風は私たちの呼吸であり
空→空気や空間や調和は私たちの心や一体となっているまとまりであり

大宇宙と私たちは
同じ五大の本質で構成されてることが納得できます^^

だからどんなに果てしない広がりをもつ広大無辺の大宇宙も本質は同じだから
どんなに広くても
大丈夫なんです^^
それ以外の本質になりようがないから^^
この不変の本質の地水火風空を貫く一大法則を妙法蓮華経といいます
この生死を貫く一大リズムで無始無終にまた無量無辺に
私たちは広大無辺な大宇宙とともに
永遠の生命であると納得できます^^

だから、いつでもどこでも誰にでも、一大法則の信心
南無妙法蓮華経と自覚する平等なる条件が元々、本来的に誰人にも備わっていて
一大信心に起つ
その時の
その人の
その場所が
久遠元初の悟りの本地であるということがこれで本源的にも条件的にも
当たり前に納得できます^^
現実の一瞬一瞬を久遠元初の自身の生命の大宇宙と自覚して妙なる無上の歓びの道をともどもにいざ!^^



  1. 2010/02/05(金) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

4・無明

無明とは魔の本地だ
無明とは明らかならず
はっきりしてないということだ

何がはっきりしていないか?

ずばり!ただ自分の一念がはっきりしてないだけのことだ。

魔は
無明にしよう
無明にしよう
と常に働きかけてくる

自分の一念をはっきりさせ
決めきって
定まってしまえば

無明転じて明らかとなり

はっきり定まった自身の一念がそのまま即大宇宙の自身となり妙なる因果倶時の法則で祈りが叶ってしまう

魔に勝つ『信心』の利剣


この命こそがみんなの『宝物』です^^




  1. 2010/02/05(金) 00:00:01|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

5・証明

法華経という釈尊が説かれた経があります。
その法華経の中でそれまで成仏しないと嫌われてた声聞や縁覚の弟子達に
やっぱり未来にちゃんと成仏すると釈尊が言います

みんなはザワザワとなって
え?成仏しないの?するの?どっち?
ザワザワ…となります
釈尊はインチキじゃないんだろうか?
という弟子や、いやなんか意味があるでと思う弟子や、ヤッターと喜ぶ弟子や、やめややめや帰ろ帰ろとどっかに行く弟子や
さまざまな人間模様が展開されます

すると多宝塔に乗った多宝如来が現れて釈尊の弟子が未来に成仏するって言ってるのは皆、真実だぞ~!って『証明』します
三世十方全宇宙の仏達も集まってきて
本当にその通りだぞ~!と念を押します
そして
釈尊は地湧の菩薩たちを呼び出して法華経を付属して未来の末法の時代にこの法華経を流布してくださいとことづけされます
そして地湧の菩薩が分かりましたと言って引き受けて、みんなもこれを信じなさいと言われて、他のみんなも分かりましたと言って成仏の約束を受けて、もとの日常生活に戻り活躍します
その多宝如来や三世十方の仏達の『証明』を日蓮大聖人が末法に出現するまでは誰もこの法華経の『証明』通りの姿を示す事、つまり『証明』を身で読むことが出来ませんでした。
続きを読む
  1. 2010/02/06(土) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

6・知識と智慧

池田先生は法華経(方便品・寿量品)講義でこうおっしゃっておられます
「端的に言えば、
【知識】は過去であり、技術です。
【智慧】は未来であり、哲学です。」と。
この信心は現当二世の為の信心です。

みんなの現実の人生を開く力こそ信心という智慧です。

牧口先生も真理は価値じゃない。真理は、あるがままをあるがままに認めることであって、新たに真理を造り出すことは出来ない。幸福は価値である。現実に幸福は作り上げていくものである。価値は創造するものである。と叫ばれました。

戸田先生も広宣流布は自ら行うことと自覚され起ち上がり叫ばれました。

池田先生も生命尊厳の人間主義を叫ばれ行じ続けておられます。

われわれもこの『信心』という智慧の体現者・実践者として
『智慧の道』『実践哲学の道』を堂々と貫き通して、自分らしく精一杯生ききっていこうではありませんか^O^オー



  1. 2010/02/07(日) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7・猛省から猛然へ

ある勤行中での出来事です。
いつもの様に勤行していたら、
突然【 あ!】となり、猛省することがありました。
それは
自我偈読経中に
『……我浄土不毀 而衆見焼尽 憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞三宝名……』のところで、なんら疑うことなくいつものように僕は、みんなを苦しめる原水爆の核爆弾や、次元は異なりますが学会を苦しめる邪宗教や、また権威権力や、いわゆる悪に対して「みんなを苦しめやがってくそ~」「だからそんな奴らは三宝の名を聞くこともできないんだ~」って勤行してました。
すると、【あ!】自我偈。自身。自身のこと。自身の一念上の問題だ!
このもろもろの衆生の苦悩とは自身の一念!。勝手に憂い怖れてるのは、ほかならない、自分自身が憂いて怖がってるだけのことを御本尊様は教えてくださっているんだ。憂い怖がるその自分の悪業因縁で、三宝の名を聞かずという行き詰まりを打開する『信心という宝』を確信出来ていない境涯をそのまま感じているんだ!他人(ひと)のせいじゃない。自分の一念の悪業の報いだ(゚д゚;)!となり愕然としました。
猛省m(_ _)m

そして先生もよくことあるごとに
『恐れるな 恐れるな』
と指導されてる響きの意味はこれなんだと自覚致しました。
感謝m(_ _)m

確信は行き詰まりを打開する宝です

広布三代に亘る指導者の共通点は
『恐れなく』
『獅子の如く』
『堂々と』

すでに我が身にいただいている宝の命をしっかり磨き
『獅子の子は獅子』と自覚し精進してまいります


  1. 2010/02/09(火) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

8・異体同心

 友の一人一人と会うとき
『異体』の尊さを知り、
 共通の目的に生きるとき
『同心』の尊さを知る。
  1. 2010/02/09(火) 00:00:01|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

9・戸田先生

今日は戸田先生の生誕110周年記念日です。
おめでとうございます。^-^
計り知れない境涯の池田先生の直接の師匠であられます。
その池田先生の師匠だから
当然僕には計り知れない境涯と推測するしか言いようがないです。

しょうむない歌ですが、感謝を込めまして、詠んでみました。

この随力筆記でしか多分発表出来ないでしょう(笑)&(恐縮)。

大聖(たいせい)の
 本有(ほんぬ)の妙に
  目を開く
 我ら善き縁
  甚深(じんじん)なるかな


金色(こんじき)の
 梅の蕾(つぼみ)に
  みとれては
 また来る春をぞ
  懐(なつ)かしむるや

    赤ポス


お粗末様でした^^;

そのまた師匠の牧口先生の御境涯もさらに、計り知れないとしか言いようがないです。

池田先生の大師匠のお二人が、今の時代の聖教新聞のSGIの方々の姿を御覧になられたら、どんなに歓喜されることでしょうかねぇ……

計り知れない歓喜としか言いようがないです^^。


  1. 2010/02/11(木) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

11・開目抄

最近、開目抄の拝読で凄まじい大聖人の信心を学んでいます

深いです

フカフカイ~イ
フカイ~イ('')σ⊥
  1. 2010/02/14(日) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

12・開目抄拝読中の事

開目抄は凄すぎます。
203ページ11行目から14行目のところを
よくよく拝読したら
大聖人は当時の人へというよりも、拝読している現時点の人のほうへ目を向け
直接発言されてるんだ!と知り
びっくり!しました
使命あり!

僕の書き方下手ですが
相当びっくりした事実です


  1. 2010/02/16(火) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

13・入会記念日

昨日は大聖人の御聖誕の記念日でした^^

一日ずれて今日は僕の入会記念日です
(惜しい。(笑))

元々は両親が昭和42年に入会(当時は入信と言っていた)しました
僕が昭和40年生まれなので二歳の頃です
小中の頃は未来部の会合にもよく誘ってもらいときどき参加してました
(ときどきって(笑))
座談会にもよく連れってもらって、わからないなりにも、晴れ晴れとした参加者のおじさんおばさん達の活気溢れる空気に圧倒されてました^^
井上陽水の傘がないの歌じゃないですが、「だけども問題は今日の試合と遊び」僕は遊びと野球に毎日忙しい少年でした^^

続きを読む
  1. 2010/02/17(水) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

14・七字五字の妙法

今日の聖教新聞の池田先生と男女青年部の代表の青年との対話『御書と青年』のなかで、【自身が妙法の当体】の項目のところで、青年女子の代表のかたが仕事柄、寮生活などで、御本尊を御安置できないという悩みをもったメンバーもいます。と心を寄せます。爾時(そのとき)、池田先生はこれを受けてこう即答されます。
「かつて戸田先生に、入会まもない女子部員が『南無妙法蓮華経』の意味について教えてください」と質問をしたことがあった。
先生は、満面に笑みを浮かべて答えてくださった。
続きを読む
  1. 2010/02/18(木) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

15・一人立つ

SGIは現時点で192ヶ国地域まで流布し興隆発展して地球を包まんとする勢いです。
全世界の同志のお一人お一人が命懸けで広宣流布を推進してきたからこそです。
すんなりサーっと拡がったんでは無く、
大聖人が一人まず立ち上がられ、日興上人も五老僧と戦い一人立たれ、牧口先生も神札問題の際に一人獅子と立たれ、戸田先生が相呼応し伴い、戦後の焼け野原に一人立ち広布を叫ばれ、池田先生も一人正義の旗を持ち立ち上がられ、同志が相呼応し現在に至り、更なる広布に世界規模で一人立つ大聖人の魂を継承しています。

まず自ら一人立つという地涌の義のままに自主的総立ちの広宣流布活動は永遠に生死を貫き誓願を生きています。
  1. 2010/02/23(火) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

16・開目抄 誓願

ちょうど開目抄拝読中に本日の聖教新聞に開目抄民衆救済の誓願が掲載されてます^^

切り抜いて御書に挟んでおこうと思います^^

ある意味、無上宝聚不求自得です(嬉)^^
  1. 2010/02/23(火) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

17・開目抄 発迹顕本

27日付の聖教新聞の(6)面に
開目抄研鑽が掲載されてて、個人拝読のちょうど同じ箇所の記事なので
タイミング良すぎて
ビックリしてます
(゚д゚)!

誰か聖教新聞の人、見とんのとちゃうか!と言いたくなるくらいタイムリーです(笑)^^

そのなかで、戸田先生が発迹顕本について語られてます

「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが我々の月々日々の【発迹顕本】である」

信力一番で挑み続けていきます^o^/



  1. 2010/02/27(土) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

18・常楽我浄

仏の境涯は常楽我浄といわれています

【常】を詮じ詰めたら今であり
【楽】を詮じ詰めたら存在している実感であり
【我】を詮じ詰めたら俺、私自身であり
【浄】を詮じ詰めたら現実、ここであり

【常楽我浄】を一瞬に観れば、

【俺は今ここにいる!】という当たり前の中に生命の尊厳を実感することである。

この、『今』『いる』『俺は』『ここに』
という、一見普通と思われる感覚の中に『常楽我浄』という
【永遠の自身】を獄中で戸田先生は掴まれ、
【生命の本質】を自得された。

みんなの生命こそ最も尊く、偉大なり。
永遠即瞬間
瞬間即永遠

全宇宙の同志と仲良く共々に

妙法広宣流布の旅を

にぎやかなる
大歓喜の無上道の躍進を!



  1. 2010/02/28(日) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

19・開目抄 読了

開目抄下読了しました^^

最後に大聖人は佐渡の極寒の流罪を
【小苦】と言い切られております

過去遠々劫の宿業を末法の法華経の行者として大難を受けきられて
宿命転換の大証明を成し遂げられ
未来永劫の全宇宙の人々の為にその生きざまと大生命力を御本尊に注入され
一切衆生に与えて下さいました

しっかりと受け止め
同心不退転の決意も固く
広布の大道を引き継ぎ生き抜くのみです
\(^o^)/

今日は法の一字の祭りの日でもあります

いよいよ観心の本尊抄拝読へ突入します

凄いことになってきたぞ!^^



  1. 2010/03/03(水) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

20・観心の本尊抄

開目抄の拝読を終え、観心の本尊抄の拝読に入ろうとした時に、以前先輩から頂いた『池田大作全集24』の中に確か観心の本尊抄の講義が収録されていたなぁと思い出し、ここ最近は先生の観心の本尊抄講義を学んでいます^^

肝要中の肝要な御書なので、本当にラッキーです^^
しっかり学んでいきたいです
(先輩ありがとうございます)

(※大白蓮華 昭和53年1月号・2月号 掲載のものです)


  1. 2010/03/10(水) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

21・講義読了

ようやく先生の観心の本尊抄講義を読了しました^^
凄いです
甚深の義の【肝要】が講義されてます

いろいろな御書に、本尊の義をあるときは人の面から表現され、また別の御書では法の面から表現されてますが、観心の本尊抄は法本尊開顕の書と言われております。

今、我々が拝している御本尊は
【人法一箇】の本尊で、究極の姿であられます。

その究極の種を直接信じ持(たも)つ時、絶対の幸福境涯が、信じ持つ人誰人にも現実に現出するということが大聖人の仏法で初めて可能になったのであります。
これ、本尊革命です。
【受持即観心】です。
実践の本尊。
信心の本尊。

冥伏せる仏界の生命を呼び覚ます対境が御本尊なので、
仏界は師弟不ニの信心の実践者の生命のことです。

滔々(とうとう)たる実践に精進してまいります。



  1. 2010/03/12(金) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

22・境涯

御書本文拝読挑戦再開しました^^

観心の本尊抄

まだ途中ですが、

「観心とは境涯なり」
「観心の本尊とは境涯革命なり」

と実感しました^^

池田先生の人間革命の物語の主題テーマを思い出しました^^
【一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。――これが、この物語の主題である】



  1. 2010/03/22(月) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

23・自然

鯖さんの板で語りあってて思ったのですが、果物は食べられる為に成っていて、人や鳥やいろんな動物が実を食べて、種を自然に還し場所を拡げまた根が出て芽が出て、樹になり、再び果実をつける。

おしべ雌しべだけの問題では終らずに、果物と動物が相互に関係しあって、それぞれが生命の営みを築いている。

花も蜂や他の虫と関連しあってる。

互いに縁しあいながら、互いに育むこの
【自然】の世界といおうか、【生命】の世界といおうか、
実にうまく成り立っていて、自然の不思議さと素晴らしさを改めて確認した次第です。


ちょっと感動。


人は一人だけでは生きていけないように、元々、本来的に、そう出来ているんだなぁと思いました^^

我以外皆我が師なり
深いです^^



  1. 2010/03/23(火) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

24・厳命

今日は戸田先生の御命日です

「第三代会長を守れば広宣流布は必ずできる」

と厳命されてます


誰が守ったのか、
誰が守らなかったのか。

誰が守れているのか、誰が守れていないのか。

誰が守ろうとしているのか、していないのか。


僕は守れているのか、いないのか。


「守れ」の戸田先生の言葉の本義は深くて厳しいです

次元は異なりますが、野球用語に
「攻撃は最大の防御なり」
とあります。


悔いなき斗いを!
広宣流布の斗いを!


  1. 2010/04/02(金) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

25・撰時

御書拝読挑戦ついに観心の本尊抄と観心の本尊抄送状(255㌻まで)読了しました^^

ついに、「撰時抄」(256㌻~)
に突入します^^


ちょうど今月の大白の40㌻に池田先生の
「勝利の経典『御書』に学ぶ」で「撰時抄」が講義されてますので、しっかりと拝し、学んでいきたいと思います^^(嬉)


時がリンクしたというか、シンクロして見守られている感じがしてとても嬉しいです^^



  1. 2010/04/04(日) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

26・時

今は末法です
この自覚に立つとき実践する創価全員が地涌を自覚できます
今いるここが裟婆即寂光土の霊山との自覚が現出します

虚空会とは信心の世界のこと

全部現実の境涯変革の生命の実感の表現です

事行の一念三千の御本尊は現実の創価全員の自覚を促(うなが)す為に大聖人が認(したた)められた末法の旗印です
歓喜の中の大歓喜なりです(^o^)/

昨日唱題中ふと御文が浮かび出ました

【只同じ御言に時を指したる末代の譲状なれば】と。

御書を探したら、三世諸仏総勘文教相廃立という御書の569ページ4行目にありました^^
続く御文は【只一向に後五百歳を指して此の妙法蓮華経を以て成仏す可き時なりと譲状の面に載せられたる手継ぎ証文なり】と認められてます^^

末法という時の自覚で全部現出します

まさに歓喜の中の大歓喜なりです
\(^o^)/

感謝の中の大感謝です\(^o^)/

広宣流布必ず致します!

時は来ている!



  1. 2010/04/07(水) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

27・計算

どうでもいいようなよくないような計算をしてみました^^

昨日は釈尊の誕生日でした^^

釈尊と言ってもいろんな六種類の釈尊がありますが、いわゆるゴータマシッタルダのあの釈尊の誕生日でした^^

何歳かは、久遠の生命明かされたことで、一切衆生皆無量歳ですが、ここでは一般的な始成正覚のいわゆるインドの釈尊が生まれて何年かについて計算してみます^^

仏滅年代について、大聖人は天台・伝教等と同様の説を採用されてます。

これは当時、広く流布していた説で、
永承7年
(1052年)が末法の元年とされてます。

今年は(2010年)なので、
末法に入って958年で、プラス正法像法の2000を足して2958年で、80年の生涯をさらに足すと3038年となります。

釈迦族の王子のいわゆる釈尊は
昨日3038歳の誕生日でした。

誕生日おめでとうございます^^

…って多分届いてないでしょう^^;


この計算上で行くと、釈尊誕生のちょうど3000年目が昭和47年に当たり、池田先生の陣頭指揮のもと正本堂が建立された年にあたりますね^^

でも後に日顕糞第三類のアホが、嫉妬(この場合男へんの漢字にしてください)根本の命から、800万信徒の真心を踏みにじり、破壊し、人類史に汚名を残しました。

今我等創価は大聖人の信心直結のもと、正しく末法の大白法広宣流布の実践の主体者を自覚し、地湧の本懐を成し遂げてまいるのみです

以上どうでもいいようなよくないような計算でした
\(^o^)/



  1. 2010/04/09(金) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

28・未来

釈尊は未来の為に法華経を遺された。

況滅度後。

ということは。
ということは。
(なんで二回ゆうねん!^^)


確実に説かんとする、云わんとする、その実体は久遠から観た未来、つまり、

【今】に久遠の実体が厳然と【有る】ということだ!!!


嗚呼学会員にして湧き来る絶対的幸福なり^O^


(鯖板の皆様に感謝)



  1. 2010/04/11(日) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

29・原点

 ひとそれぞれに
いろんな原点があります

またひとそれぞれに
原点と聞いて「ピン!」とくるものがあります^^

僕は自分でも呆れるほど読み込んだ人間革命第7巻の「原点」の章の文底の南無妙法蓮華経から法華経を読み返され師弟を人生を生活を講義された戸田先生の法華経講義とその後の質問会の場面に本当に感動した一人です^^
ところで、今日の聖教新聞に池田先生の「五月三日」の揮毫を紹介されてる記事が掲載されてます
常勝関西の同志との師弟不二の歴史が尊く深く結晶した揮毫でもあると紹介されてます^^

書の中央には
「五月三日」
脇書きには
「昭和五十五年五月三日 記す」
「心爽やかなり 合掌」と。
さらに脇書きには、広布の節目となる「五月三日」の歴史が留められ、
「此の日は わが【学会乃原点】也」
と認められているとのことです^^

戸田先生も池田先生もまず【一人】立たれたその日こそが
【原点】の本義であります


【時】とは【自覚】なり
【詮ずるところ】なり



  1. 2010/04/18(日) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

30・不軽

 時に感じたので、この御書を紹介したいと思います^^

「寺泊御書」の一節です。

953㌻18行目~954㌻2行目の

「法華経は三世の説法の儀式なり、
過去の不軽品は今の勧持品
今の勧持品は過去の不軽品なり、
今の勧持品は未来は不軽品為(た)る可し、
其の【時】は
【日蓮は即ち不軽菩薩為(た)る可し】」


我々一人一人は末法の不軽菩薩として、
一人一人の仏性に光を当てる運動をしていると確信致します。
本来誰人も永遠の生命の尊極の当体であることを一人一人呼び覚ます作業をしている。
これこそ
広宣流布の活動であると深く確信致します^^




  1. 2010/04/23(金) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

31・御書

 日蓮大聖人が建長五年(1253年)四月ニ十八日に三大秘法の南無妙法蓮華経を御唱え始められてから七百年の昭和二十七年(1952年)四月ニ十八日に出版願主・戸田先生、編纂・堀日亨上人、出版費醵出・学会員同志、校正・教学部員のもと、正確なる御書全集が出現しました^^
(1253年を1年目と数える。よって1952年で700年目に当たる)

今年2010年は御書出現満58周年です^^

戸田先生は発刊の辞で
『この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである。』
と発刊時において全世界広宣流布を祈念しておられます。

そして池田先生の指揮のもとSGI192ヶ国地域まで大聖人の仏法が浸透している時代は未曾有の凄い時代です^^

御書発刊に寄せた戸田先生の和歌の一首に
『御仏(みほとけ)の
  力あふるる
   御書持てば
  山抜く力
   胸に湧き出ず』
との和歌があります。

御書の一節を噛みしめ実践するほどに、その一節がそのまま生きる力となっている現実、つまり命となっている不思議さに只々感謝しながら勇猛精進していきます^^



  1. 2010/04/28(水) 00:00:00|
  2. 随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ