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赤ポスの随力筆喜

1・命

 我々は年々歳をとる。
じっとしていても、
寝ていても、
走り回っても、
あきらめてボーッとしようとも、
歳をとらないようにがまんしようとしても、
ともかく歳をとる。

これは誰でもが納得できる当たり前のことだ。

では、
この当たり前の
赤ちゃんが、
一瞬一瞬。
一秒一秒。
一日一日。
一年一年。
歳をとり続けて、
歳をとり、

気付けば、
お兄さん
お姉さん
になっていて、

また気付けば、
お父さん
お母さん
お爺さん
お婆さん
になっている事実も、
当たり前のことである。


すると【命】と言っても、

一瞬一瞬が続いているものであり、

誰も止めることのできない、
太陽や月を動かしている、

【大宇宙の一大法則】が、

ちゃんと誰の【命】をも貫いているのであり、

誰人も、
どんな動物も、
どんな植物も、
太陽も、
月も、
星も、
銀河も、

みんな貫いている。


だから、
我々の
【命】と、


大宇宙大銀河を
動かしている
【一大法則】は、


実は、【同じもの】である!!!
\(^o^)/

ということが、

当たり前に、納得できます。

【宇宙生命の根源が誰人の内にも常にある】ということです!!!
^^

一切の変革も幸不幸もここから始まるのです!!!
\(^o^)/




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  1. 2010/02/04(木) 00:00:00|
  2. 随筆
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2・無始無終

前回大宇宙の法則と我々の命が実は同じものである
と当たり前に納得できたところまでいきました

今回は無始無終についてです^^

じゃあ、当たり前に納得できたその我々の命である宇宙の法則は始まりがあるのであろうか?無いのであろうか?
一般的にビッグバンが宇宙の始まりとされてますが
法則が大宇宙を貫きわたっているのでビッグバンも一度きりじゃなく
赤ちゃんがお爺さんやお婆さんにまで続いたように何度でもビッグバンを繰り返し数えきれないほど永久に次から次へと『命』の法則は貫いて続いていて
どれが最初のビッグバンなのか特定できません
永遠に宇宙は成住壊空と言って出来ては壊れの繰り返しを物凄い時間をかけて繰り返してます
だから
特定する始まりが無いんです
そして終わりも無いんです
元々、本来、ズーッと続いているということが当たり前に納得できます^^

よって命は宇宙は
『無始無終』に永久に続いてるものと当たり前に納得できました^^



  1. 2010/02/04(木) 00:00:01|
  2. 随筆
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3・五大の種

地水火風空
という五大の本質で大宇宙は成り立っています

この本質は私たちも同じ本質で構成されてます

地→大地や星々や固まりは私たちの肉体であり
水→川や海は私たちの血液や体液や水分であり
火→マグマや炎は私たちの温もりや熱であり
風→そよぐ風は私たちの呼吸であり
空→空気や空間や調和は私たちの心や一体となっているまとまりであり

大宇宙と私たちは
同じ五大の本質で構成されてることが納得できます^^

だからどんなに果てしない広がりをもつ広大無辺の大宇宙も本質は同じだから
どんなに広くても
大丈夫なんです^^
それ以外の本質になりようがないから^^
この不変の本質の地水火風空を貫く一大法則を妙法蓮華経といいます
この生死を貫く一大リズムで無始無終にまた無量無辺に
私たちは広大無辺な大宇宙とともに
永遠の生命であると納得できます^^

だから、いつでもどこでも誰にでも、一大法則の信心
南無妙法蓮華経と自覚する平等なる条件が元々、本来的に誰人にも備わっていて
一大信心に起つ
その時の
その人の
その場所が
久遠元初の悟りの本地であるということがこれで本源的にも条件的にも
当たり前に納得できます^^
現実の一瞬一瞬を久遠元初の自身の生命の大宇宙と自覚して妙なる無上の歓びの道をともどもにいざ!^^



  1. 2010/02/05(金) 00:00:00|
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4・無明

無明とは魔の本地だ
無明とは明らかならず
はっきりしてないということだ

何がはっきりしていないか?

ずばり!ただ自分の一念がはっきりしてないだけのことだ。

魔は
無明にしよう
無明にしよう
と常に働きかけてくる

自分の一念をはっきりさせ
決めきって
定まってしまえば

無明転じて明らかとなり

はっきり定まった自身の一念がそのまま即大宇宙の自身となり妙なる因果倶時の法則で祈りが叶ってしまう

魔に勝つ『信心』の利剣


この命こそがみんなの『宝物』です^^




  1. 2010/02/05(金) 00:00:01|
  2. 随筆
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5・証明

法華経という釈尊が説かれた経があります。
その法華経の中でそれまで成仏しないと嫌われてた声聞や縁覚の弟子達に
やっぱり未来にちゃんと成仏すると釈尊が言います

みんなはザワザワとなって
え?成仏しないの?するの?どっち?
ザワザワ…となります
釈尊はインチキじゃないんだろうか?
という弟子や、いやなんか意味があるでと思う弟子や、ヤッターと喜ぶ弟子や、やめややめや帰ろ帰ろとどっかに行く弟子や
さまざまな人間模様が展開されます

すると多宝塔に乗った多宝如来が現れて釈尊の弟子が未来に成仏するって言ってるのは皆、真実だぞ~!って『証明』します
三世十方全宇宙の仏達も集まってきて
本当にその通りだぞ~!と念を押します
そして
釈尊は地湧の菩薩たちを呼び出して法華経を付属して未来の末法の時代にこの法華経を流布してくださいとことづけされます
そして地湧の菩薩が分かりましたと言って引き受けて、みんなもこれを信じなさいと言われて、他のみんなも分かりましたと言って成仏の約束を受けて、もとの日常生活に戻り活躍します
その多宝如来や三世十方の仏達の『証明』を日蓮大聖人が末法に出現するまでは誰もこの法華経の『証明』通りの姿を示す事、つまり『証明』を身で読むことが出来ませんでした。
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  1. 2010/02/06(土) 00:00:00|
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6・知識と智慧

池田先生は法華経(方便品・寿量品)講義でこうおっしゃっておられます
「端的に言えば、
【知識】は過去であり、技術です。
【智慧】は未来であり、哲学です。」と。
この信心は現当二世の為の信心です。

みんなの現実の人生を開く力こそ信心という智慧です。

牧口先生も真理は価値じゃない。真理は、あるがままをあるがままに認めることであって、新たに真理を造り出すことは出来ない。幸福は価値である。現実に幸福は作り上げていくものである。価値は創造するものである。と叫ばれました。

戸田先生も広宣流布は自ら行うことと自覚され起ち上がり叫ばれました。

池田先生も生命尊厳の人間主義を叫ばれ行じ続けておられます。

われわれもこの『信心』という智慧の体現者・実践者として
『智慧の道』『実践哲学の道』を堂々と貫き通して、自分らしく精一杯生ききっていこうではありませんか^O^オー



  1. 2010/02/07(日) 00:00:00|
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7・猛省から猛然へ

ある勤行中での出来事です。
いつもの様に勤行していたら、
突然【 あ!】となり、猛省することがありました。
それは
自我偈読経中に
『……我浄土不毀 而衆見焼尽 憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞三宝名……』のところで、なんら疑うことなくいつものように僕は、みんなを苦しめる原水爆の核爆弾や、次元は異なりますが学会を苦しめる邪宗教や、また権威権力や、いわゆる悪に対して「みんなを苦しめやがってくそ~」「だからそんな奴らは三宝の名を聞くこともできないんだ~」って勤行してました。
すると、【あ!】自我偈。自身。自身のこと。自身の一念上の問題だ!
このもろもろの衆生の苦悩とは自身の一念!。勝手に憂い怖れてるのは、ほかならない、自分自身が憂いて怖がってるだけのことを御本尊様は教えてくださっているんだ。憂い怖がるその自分の悪業因縁で、三宝の名を聞かずという行き詰まりを打開する『信心という宝』を確信出来ていない境涯をそのまま感じているんだ!他人(ひと)のせいじゃない。自分の一念の悪業の報いだ(゚д゚;)!となり愕然としました。
猛省m(_ _)m

そして先生もよくことあるごとに
『恐れるな 恐れるな』
と指導されてる響きの意味はこれなんだと自覚致しました。
感謝m(_ _)m

確信は行き詰まりを打開する宝です

広布三代に亘る指導者の共通点は
『恐れなく』
『獅子の如く』
『堂々と』

すでに我が身にいただいている宝の命をしっかり磨き
『獅子の子は獅子』と自覚し精進してまいります


  1. 2010/02/09(火) 00:00:00|
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8・異体同心

 友の一人一人と会うとき
『異体』の尊さを知り、
 共通の目的に生きるとき
『同心』の尊さを知る。
  1. 2010/02/09(火) 00:00:01|
  2. 随筆
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9・戸田先生

今日は戸田先生の生誕110周年記念日です。
おめでとうございます。^-^
計り知れない境涯の池田先生の直接の師匠であられます。
その池田先生の師匠だから
当然僕には計り知れない境涯と推測するしか言いようがないです。

しょうむない歌ですが、感謝を込めまして、詠んでみました。

この随力筆記でしか多分発表出来ないでしょう(笑)&(恐縮)。

大聖(たいせい)の
 本有(ほんぬ)の妙に
  目を開く
 我ら善き縁
  甚深(じんじん)なるかな


金色(こんじき)の
 梅の蕾(つぼみ)に
  みとれては
 また来る春をぞ
  懐(なつ)かしむるや

    赤ポス


お粗末様でした^^;

そのまた師匠の牧口先生の御境涯もさらに、計り知れないとしか言いようがないです。

池田先生の大師匠のお二人が、今の時代の聖教新聞のSGIの方々の姿を御覧になられたら、どんなに歓喜されることでしょうかねぇ……

計り知れない歓喜としか言いようがないです^^。


  1. 2010/02/11(木) 00:00:00|
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11・開目抄

最近、開目抄の拝読で凄まじい大聖人の信心を学んでいます

深いです

フカフカイ~イ
フカイ~イ('')σ⊥
  1. 2010/02/14(日) 00:00:00|
  2. 随筆
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12・開目抄拝読中の事

開目抄は凄すぎます。
203ページ11行目から14行目のところを
よくよく拝読したら
大聖人は当時の人へというよりも、拝読している現時点の人のほうへ目を向け
直接発言されてるんだ!と知り
びっくり!しました
使命あり!

僕の書き方下手ですが
相当びっくりした事実です


  1. 2010/02/16(火) 00:00:00|
  2. 随筆
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13・入会記念日

昨日は大聖人の御聖誕の記念日でした^^

一日ずれて今日は僕の入会記念日です
(惜しい。(笑))

元々は両親が昭和42年に入会(当時は入信と言っていた)しました
僕が昭和40年生まれなので二歳の頃です
小中の頃は未来部の会合にもよく誘ってもらいときどき参加してました
(ときどきって(笑))
座談会にもよく連れってもらって、わからないなりにも、晴れ晴れとした参加者のおじさんおばさん達の活気溢れる空気に圧倒されてました^^
井上陽水の傘がないの歌じゃないですが、「だけども問題は今日の試合と遊び」僕は遊びと野球に毎日忙しい少年でした^^

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  1. 2010/02/17(水) 00:00:00|
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14・七字五字の妙法

今日の聖教新聞の池田先生と男女青年部の代表の青年との対話『御書と青年』のなかで、【自身が妙法の当体】の項目のところで、青年女子の代表のかたが仕事柄、寮生活などで、御本尊を御安置できないという悩みをもったメンバーもいます。と心を寄せます。爾時(そのとき)、池田先生はこれを受けてこう即答されます。
「かつて戸田先生に、入会まもない女子部員が『南無妙法蓮華経』の意味について教えてください」と質問をしたことがあった。
先生は、満面に笑みを浮かべて答えてくださった。
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  1. 2010/02/18(木) 00:00:00|
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15・一人立つ

SGIは現時点で192ヶ国地域まで流布し興隆発展して地球を包まんとする勢いです。
全世界の同志のお一人お一人が命懸けで広宣流布を推進してきたからこそです。
すんなりサーっと拡がったんでは無く、
大聖人が一人まず立ち上がられ、日興上人も五老僧と戦い一人立たれ、牧口先生も神札問題の際に一人獅子と立たれ、戸田先生が相呼応し伴い、戦後の焼け野原に一人立ち広布を叫ばれ、池田先生も一人正義の旗を持ち立ち上がられ、同志が相呼応し現在に至り、更なる広布に世界規模で一人立つ大聖人の魂を継承しています。

まず自ら一人立つという地涌の義のままに自主的総立ちの広宣流布活動は永遠に生死を貫き誓願を生きています。
  1. 2010/02/23(火) 00:00:00|
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16・開目抄 誓願

ちょうど開目抄拝読中に本日の聖教新聞に開目抄民衆救済の誓願が掲載されてます^^

切り抜いて御書に挟んでおこうと思います^^

ある意味、無上宝聚不求自得です(嬉)^^
  1. 2010/02/23(火) 00:00:00|
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17・開目抄 発迹顕本

27日付の聖教新聞の(6)面に
開目抄研鑽が掲載されてて、個人拝読のちょうど同じ箇所の記事なので
タイミング良すぎて
ビックリしてます
(゚д゚)!

誰か聖教新聞の人、見とんのとちゃうか!と言いたくなるくらいタイムリーです(笑)^^

そのなかで、戸田先生が発迹顕本について語られてます

「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが我々の月々日々の【発迹顕本】である」

信力一番で挑み続けていきます^o^/



  1. 2010/02/27(土) 00:00:00|
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18・常楽我浄

仏の境涯は常楽我浄といわれています

【常】を詮じ詰めたら今であり
【楽】を詮じ詰めたら存在している実感であり
【我】を詮じ詰めたら俺、私自身であり
【浄】を詮じ詰めたら現実、ここであり

【常楽我浄】を一瞬に観れば、

【俺は今ここにいる!】という当たり前の中に生命の尊厳を実感することである。

この、『今』『いる』『俺は』『ここに』
という、一見普通と思われる感覚の中に『常楽我浄』という
【永遠の自身】を獄中で戸田先生は掴まれ、
【生命の本質】を自得された。

みんなの生命こそ最も尊く、偉大なり。
永遠即瞬間
瞬間即永遠

全宇宙の同志と仲良く共々に

妙法広宣流布の旅を

にぎやかなる
大歓喜の無上道の躍進を!



  1. 2010/02/28(日) 00:00:00|
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