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赤ポスの随力筆喜

50・託(たく)す

 僕たちの命は託(たく)したものを感じています。
だから、あんぱんの上にふりかけられてる芥子粒(けしつぶ)くらいの小さなものでも狭(せま)いということは無く、大宇宙の虚空であっても広すぎるということも無いのです。

託したものを感じてる。それが命です。

結局、愛おしいとか、腹立たしいとか、面白いとか、悲しい、嬉しいとかは、託したものを感じていることで、結局、煎じ詰めたら、常に自分自身を感じているということです。

この自分自身の生命の向上、宿命転換は、自分と大宇宙の偈(ことわり)、あいだにおける答えを御本尊として完璧に顕された大聖人の一念と境智冥合することで、はじめて、末法に妙法を流布する使命を思い出すことが可能になるのです。

創価三代に亘る師匠とSGIの世界中の学会員の方々は、法華経の文底の、宇宙の根源の妙法を広宣流布する使命を帯びて、久遠からの約束の道を過去も現在も未来も生き抜くのみです。
『人間革命光あれ』
(^o^)/
次回から、御書に命を託して、大聖人の一念を体得流布する戦いに頑張ります。
(^o^)/
(ってなかなか拝読せぇへんなぁ(笑)すいません^^;頑張ります)





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  1. 2010/06/01(火) 00:00:00|
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51・所感

 牧口先生と戸田先生、又、戸田先生と池田先生との間に対して思い抱く所感です^^。


妙とは師匠の一念
法とは弟子の行動
師弟不二にして蓮華なり
三世十方に経て征く以信得入無上道なり
是れ妙法蓮華経なり
是れ南無妙法蓮華経なり



   赤ポス^^







  1. 2010/06/02(水) 00:00:00|
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撰時抄研鑽・開学序

 鯖さんの板の一支国さんスレをお借りして、御書拝読研鑽をあれこれ綴ってましたが、撰時抄拝読研鑽の途中で拝読運動冥伏(笑^^;)してしまってましたので、今日から当ブログにて、拝読研鑽運動を再開したいと思います。^^
寝る子は育つと言いますが、はたして、冥伏する子は育つのでしょうか(爆)^^;

撰時抄で地に倒れましたので、撰時抄の始めから地を押さえて立ち上がるように拝読学習し直します。
お待たせ致しました
(って誰も待っていないという空気をひしひしと感じながら)
^^;
でわでわ…





  1. 2010/06/02(水) 00:00:00|
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「『御書』に学ぶ」に学ぶ・1

 撰時抄を池田先生が大白4月号6月号で講義されてます。

手持ちに講義書が無ければ、自分で研鑽するしかないですが、わざわざ先生が講義されてるのが手元に有るのに、それに習わないのは筋違いになるので、先生の講義が有るときは、優先的に、先ず、その講義を学んでいこうと思います^^
(決して自己研鑽を怠るという意味ではありません あしからず^^;
うまいことゆうたなぁ(爆^^;)

まずは、大白の講義の範囲 御書256頁~266頁14行目まで講義されてますので、その範囲の御書本文を通しで拝読し、先生の講義を通しでまずは3回熟読したいと思います^^

その後、随時、所感を記していきたいと思います^^

では通し読みに取り掛かります^^






  1. 2010/06/04(金) 00:00:00|
  2. 御書学習
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「『御書』に学ぶ」に学ぶ・2

 池田先生の講義によれば、「時を撰ぶ」とは、「広宣流布の時として末法を選び取る」との意で、
末法に出現の大聖人が、「時」の本質を会得された方であり、「今の時を生きる民衆」を苦悩から救うため、その「法」を弘めていく。その「法」とは、法華経の肝心、寿量文底の南無妙法蓮華経であり、その大白法を掲げ、世界広宣流布の時を創る不惜の戦いに大聖人が一人立ち上がられた。そして、わが弟子等も、この戦いに続け、と結ばれている。これが「撰時抄」の大意であります。
そして池田先生自身も、民衆の幸福と世界の平和のために、「人間のための宗教」をいかに弘めるかの一点を思索し、行動に移してきました。とりわけ、この50年、広宣流布の一切の責任を担い、「撰時抄」に仰せの如く、「時」に焦点を結び、行動すべき「時」を選び、大聖人の御精神を現代社会に宣揚するために真剣に戦ってまいりました。
と本抄を講義されてます。

創価三代に亘る会長もこの「時」の戦いに不惜で戦われ、これでもか、これでもかと、広宣流布の『時』は『今』であることを講義全編を通じて強調しておられます。

弟子の戦いを全うする挑戦に努力を惜しまず、頑張っていきたいです '-'





  1. 2010/06/05(土) 00:00:00|
  2. 御書学習
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52・牧口先生(1)

 今日は「創価教育の父」である牧口常三郎初代会長の生誕の日(明治4年(1871.6.6))であります。存命であれば生誕満139歳の誕生日であられます。
父は渡辺長松という船乗りで、その長男として長七と名付けられたとのことです。
大聖人も、又、創価三代に亘る会長先生も皆不思議にも、海関係で漁師の子という境遇で生まれておられます。

(僕は山関係で生まれたぐるりに海が無い所なので、あまり海育ちの気持ちが解りません。ぇ?聞いて無いって?…はぃはぃ(笑)^^;)

牧口先生は大聖人が立宗宣言された歳と同じ32歳のときに、
『人生地理学』という本を発表されてます。
「地を離れて人なし。人を離れて事なし。人事を論ぜんとせば、まず地理を究めよ」と本書全編を通じた意図を述べられてます。

そして、新潟に帰省中の渡辺力宛に手紙を送り、その中で、北海道の天塩厚寒原野で眺めて詠んだ句を紹介されてます。

【除虫菊
  新緑原野に
    雪散らし】

これが牧口先生が詠まれた現存する、唯一の俳句とのことです。
除虫菊って蚊取り線香の原料になってる草花ですね^^

まさに、人類史において、大聖人の御遺命のままに清浄無比なる生涯を捧げられたお姿と響き合う厳粛さが句に込められてるように感じます ''





  1. 2010/06/06(日) 00:00:00|
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53・牧口先生(2)

 辻武寿さんが『牧口常三郎箴言集』の中で、牧口先生のことを語られてます。
「牧口先生は、『児童にわかりやすくて、たのしく、能率的な授業でなければ創価教育とはいえない』と常にいわれてました。牧口先生から、日頃、薫陶を受けていた戸田先生は当時、時習学館(学習塾)を経営しておりましたが、ある日『私が創価教育をおみせしましょう』と進んで教壇に立って数学の授業をしてくださったのです。それがまことに、わかりやすく、堅苦しくなりがちな数学を、腹をかかえて笑わせながら、たのしく理解させてしまう、みごとな授業に、『まさに芸術的な教育だ』と私達参観者を感嘆させずにはおきませんでした」と述懐されてます。^^





  1. 2010/06/06(日) 00:00:01|
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54・牧口先生(3)

『創価教育学体系』第1巻(教育学組織論・教育目的論)の初版の発行日の日付の昭和5年11月18日が創価学会の創立記念日となっています^^

その『緒言』のなかで、牧口先生の心情がユーモアを交え吐露されてます^^
「学の名を冠すとはいえ、余は最初から一科の学を云為しようと企図したものではない。日常の職務遂行の必要上から反省し思索したメモリーの堆積に過ぎない。守銭奴が一文二文を惜しんで溜める僻(くせ)の様に、余も日常生活の間に往来する思想のけんてきの散逸を恐れて、書き採って置いたのが、教育生活に入って以来30余年にも亘ったために、いつの間にか積り積って反古紙の山を築いてしまった。後から見るとつまらぬものもあるが、又中には捨てるに忍びないものも少なくない。これを整理すれば何かの役に立つ様なものになろうかと思うと、むざむざ紙屑屋に払ってしまうきにもなれぬ。こうして時々ネズミには巣喰われ(笑^^)家族には小言を言われ(笑^^)、困っては居たが、さて日々公私の多忙に整理のしようもない。時にはこの整理にかかっては見るものの、折に触れた感想や抜抄の堆積であるが故に、堆(うずたか)き乱麻(らんま)の如き(笑^^)断簡零墨を選分(えりわけ)るだけでも、相当連続の時間を要する。(そらせやわ^^)いわんや総合統一、取捨補綴の余裕をや。かくて粗書半感の原稿を眺むることすでに二十有余年にも及んでいる。(に!20年以上~(笑)ヒェ~'。')その間日々の本務をばせめて人並みに遂行し、欠陥だけでも少なくせんと期したが為に絶えず悩みを続けて今日に至ったのである。」

(本務の合間にしようと思ってもなかなか普段忙しいのでそれはかなりの激闘だと推測するしかないです''
そんなところに戸田先生が現れます)

「右の事情だから余一人の努力では百年河清をまつ様なものであったが、たまたま同志の青年諸君が自分の事の如く心配し、この事業の為後援会を設けて精神的の援助(笑^^;凄いなぁ)をなし、余を慰め激励し、原稿の整理に印刷の校正に、それぞれの助力をなして、今日あるに至らしめたのである。なかんずく戸田城外(城聖と名乗る前の名前)君は多年の親交から最も早い理解者の一人として、その自由なる立場に於ける経営の時習学館で実験して、小成功を収めその価値を認め確信を得たので今では主客転倒、かえって余が引きずられるていになったのである」

偉大な師匠と弟子。奇跡の契約ですね'。'
  1. 2010/06/06(日) 00:00:02|
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55・牧口先生(4)

 1929年(昭和4年)2月の寒い夜、牧口先生は戸田先生の家を訪ねられ、教育に対する自分の考えを語られました。
戸田先生は、教育に対する熱き思いを語る牧口先生に感動されます。
そして、戸田先生は牧口先生に質問します。
「牧口先生の教育学は、【何が目的】ですか?」
牧口先生は「【価値を創造】することだ!」と応えられます。
すると、戸田先生が
「では先生!【創価教育】と決めましょう!」
と創価教育との名がパッとお二人の対話の中から湧き出たとのことです。^^

戸田先生は、牧口先生の考えを本にしよう!と努力され、先生の書き溜めた珠玉のメモを整理し、出版費も用意され、「牧口先生の喜びは、私の喜びです!」と師匠を支えられたのです。

そして『創価教育学体系』を発刊(1930.11.18)され、この日が学会創立記念日となりました。
学会自体、師弟の絆により誕生したのです。^^



  1. 2010/06/06(日) 00:00:03|
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56・牧口先生(5)

 牧口先生のエピソードで凄いなぁと僕が感じたのは、ちょうど戦時中の神札問題の時に、登山を宗門側から命ぜられ、『神札は絶対に受けません!』と拒否され、下山の際に、牧口先生が地面に躓かれたのか転ばれ、手を怪我され、擦りむいて血が出た事があったとのことです。
その時、普通の一般人の感覚なら、「なにかの罰かなぁ?」と弱腰に受け止めてしまうところなのに、牧口先生は、
『もっと強く諫めなかった罰だ!』と言われ、自分の諫めがまだ生ぬるい程だ!と大聖人の振る舞いを身で読みきる凄まじい覚悟を如実に物語るエピソードがあります。'-'

そして、逮捕から1年4カ月が過ぎた1944年(昭和19年)の11月18日、奇しくも創立の日と同じ月日に73歳の尊き生涯を閉じられます。
大聖人と同じく、人間という立場のままで、広宣流布という大業に帰命されました。行と位が大聖人と同じです!!!
薬王品の【広宣流布】を身で読まれた稀有なる師匠です。
日淳上人も「生来より仏の使いであられる」と賛嘆されてます。そして戸田先生が立ち、池田先生が立ち、現在のSGIに信心の血脈は受け継がれてます。
はっきり言って学会にしか大聖人の血脈は存在してないです。広宣流布は牧口先生以来学会の宿命であり、使命です。末法に妙法を広宣流布する事実上の地湧の菩薩です。

牧口先生の存在意義は計り知れないです。
月月日日に赫々と輝きを増していくのも、残れる我々一人一人の信心に全てかかってくると肝に命じ、今世の使命を果たさんのみです'o'

牧口先生~ '。'

必ず'-'/






  1. 2010/06/06(日) 00:00:05|
  2. 随筆
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撰時抄 研鑽・1

 今日から間違ってたら罰は自分が受けるという覚悟の上で、「撰時抄」を読み砕いて研鑽してみようと思います。^^;(大聖人様つまらぬ弟子で申し訳ありません;)

『撰時抄』256頁~
建治元年(1275年文永12年の4月に建治に改元)54歳御作
釈子(釈子とは一往は釈尊の弟子をいい、再往は文底の釈尊たる久遠元初の境涯をほしいままに受け用いる身の弟子ということで、地湧の菩薩を自覚された立場と拝せます)日蓮 述ぶ(ここに宣言します)

仏法を学ぶのならば必ず最初に「時」を習わなければならない。
過去の仏の大通智勝仏(法華経化城喩品第7に説かれる、三千塵点劫というむちゃくちゃ過去に法華経を説いたといわれる仏)は出世して十小劫というとてつもなく長い期間一経も説かなかった。経にいわく「一坐十小劫」またいわく「仏は時のいまだいたっていないことを知り、請いを受けても、黙って坐したまま説かなかった」と経にある。今の仏の教主釈尊は成道してから40余年間法華経を説かなかった。経には「説く時が未だ至らない故に」とある。老子は母親の胎内に80年いた(居すぎやろ(笑)^^;)。未来の仏の弥勒菩薩はとそつの内院(欲界第4天の名前)に籠(こも)って56億7000万歳を待った(って超~待ち過ぎやろ~^^(爆)しかし、この弥勒菩薩ちょくちょく出てきてめっちゃ気になるなぁ(笑)^^)



  1. 2010/06/06(日) 00:00:11|
  2. 御書学習
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撰時抄 研鑽・2

(256頁4行目~)
時鳥(ほととぎす)という鳥は鳴き声で春を送り届け、鶏鳥(にわとり)は暁(あかつき)が来るのを待ち夜が明けてやっと鳴く。畜生であってもこのように時を大事にする。仏法を修行する立場の人間ならば尚更のこと時というものが大切であり、いかなる仏法を行ずる時かを先ずは、はっきりさせなければならない。
釈尊がはじめて煩悩を寂滅し無上等正覚を得て華厳経の悟りを説いた寂滅道場には十方の諸仏が現れ一切の大菩薩たちがあつまり、梵天も帝釈天も四天王も竜神・八部の衆も手を合わせ凡夫衆や大根性の者たちは耳をそばだて菩薩の境涯を得ているものたちが説法の要請をしたけれども、釈尊は二乗作仏や久遠実成の法の名字を秘(かく)し即身成仏や一念三千の肝心、その意味を説かなかった。
これらは、ひとえに機根は有っても、時が来ていないので説かなかったのである。経には「説く時がいまだ来ていないため」とある。逆に、霊山会の法華経を説く時には、閻浮提のなかで一番の不孝者の阿闍世(アジャセ)大王も法華経の会座に参列し、一代謗法(ほうぼう)の提婆達多でさえ天王如来との未来成仏の記別が与えられ、五つ障りがあるとされてる女人の竜女でさえも蛇身を改めることなく、その身のままで成仏した。
声聞や縁覚は仏にならないと決定されていた決定性のものたちであったのが、法華経に来て成仏できたことは、炒った種から花が咲き果(み)がなり、久遠実成は100歳のお爺さんが25歳の青年の子供になったように疑ってしまう程不思議なことである。
一念三千の法門は九界即仏界・仏界即九界と誰しもが成仏する教えと説く。
ならば、この法華経の一字は不思議で尊い如意宝珠である。一句は持てばそのまま仏の種子となる。これらのことは、機根の熟・不熟に関わらず【時】の至れるしわざである。経には「今正しく是れ其の【時】なり、決定して大乗を説く」とある。


(あれ?!゚。゚機根に関係なく一切衆生納得いく大乗の仏とは【生命】のことですね^^まさしく【仏とは生命なり】です^^
【法華経は生命論】
ならば
【時とは生命】ですね^o^/
機根の段階関係なしですな!十界互具やから!どの立場からでも成仏出来ると説く法華経やから!^。^ヤタッ!)




  1. 2010/06/06(日) 00:00:12|
  2. 御書学習
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撰時抄 研鑽・3

 256頁14行目~
(ここから問答形式に御書が展開されていきます^^)

【問】衆生の機根が熟していないのに大法を説けば、衆生は誹謗して悪い結果を招く。こうなれば説く側の罪になるんじゃないのでしょうか?

【答】人が道を作る。道に迷う者がいたら、道を作った者が悪いと言うのですか。迷う者の落ち度というものでしょう。
また、医師が薬を病人に処方しているのに、病人が嫌がって服用せずに死んでしまったとしたら、医師が悪いというのでしょうか。せっかく薬を与えているのに服用しなかった病人側の落ち度というものでしょう。

【問】法華経の第2には「何も知らない人にこの教えを説くな」と。また第4には「あちこちにむやみやたらに人に与えるな」と。また第5には「この法華経はあらゆる仏たちを成仏させる功徳を備えている蔵である。いろんな教えの中でも最も優れている教えなので、永きに亘り大切にして、軽々しく説くのではない」と。
これらの経文によれば、衆生が教えを受け入れる機根が熟していなければ説くなということを言ってるんじゃないんですか?

【答】お言葉を返すようだが、不軽品には「それでも言います。私は深くあなた方を尊敬します。大衆の中には悪心を抱いて悪口を言って、『何も知らない修行者め!』と罵るでしょう。また、物を使って暴力をふるってくるでしょう」と。また、勧持品には「いろいろと何も知らない人から悪口を言われたり、刀や杖で危害を加えられ迫害を受けるであろう」と。
これらの経文では、悪口や罵倒や暴力を受けたとしても強いて法を説くとなっていることをみれば、機根に関わらず法を説くと経にはあります。法を説く人の落ち度ではないでしょう。


  1. 2010/06/07(月) 00:00:03|
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撰時抄 研鑽・4

 機か?時か?問答が続きます^^

 257頁8行目~
【問】先程の両説はそれぞれ言いぶんが水火の関係で逆説になってるように思われますが、どのように捉(とら)えたらいいのでしょうか?
納得いく解答を求めます。

【答】天台が言うには「時に適しているかどうかで判断する」と。天台の弟子の章安が言うには「取捨選択してごっちゃにしないように」と。
この解釈の意味は、
ある時は、謗らなくてもしばらくは説かない時もある。
またある時は、謗っていようとも強いて説くほうが良い時もある。
またある時は、一人は信じても、万人が謗るようであれば説かない時もある。
またある時は、万人が一同に謗っても強いて説く時もある。
釈迦は30歳で成道してから多くの教えを説くたびに、大勢の弟子や諸天や衆生やましてや父や母に縁していたが、それでも40余年間も一番大事な教えの法華経を説かなかったのである。
結局のところ、衆生の機根で判断せずに、時が来ていなかったので説かなかったのです。


(まさに撰機じゃなくて、撰時ですね^^)



  1. 2010/06/07(月) 00:00:04|
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撰時抄 対話・5

 撰時抄の対話の読み解き挑戦続けてみます^^
【問人】…質問者・対話相手
【答人】…日蓮大聖人
 (257頁17行目~)
【問人】どんな時に小乗経や権経を説いて、どんな時に法華経を説くのですか?

【答人】信心し始めの初心者から体験をいっぱい積んだベテランの大菩薩にいたるまで時と機を知り判断することは難しいです。ましてや私達は凡夫です。どうして簡単に時と機を知ることができましょうか。

【問人】え!? それじゃ、少しも知ることができないんでしょうか?

【答人】あえていえば、『仏眼』ともいうべき経文に照らし合わせて時や機を知って判断し、『仏日』ともいうべき経文に照らし合わせて国土の現実を知っていくことです。



(判断は経文に還れ!というのが大聖人の一貫された姿勢ですね^^)




  1. 2010/06/08(火) 00:00:05|
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撰時抄・6 仏眼仏日とは経文のこと

 仏眼でありまた仏日でもある仏自身が説かれた『経文』によって時や機を知るべきだとの大聖人の意見に対して、対話が続けられます^^

 258頁2行目~
【問人】それはどういう意味でしょうか?

【答人】それは、釈迦仏が大集経において月蔵菩薩に対して未来の『時』を定められて述べておられます。
それによりますと、釈迦仏が入滅されてからまず第1の500年間は、正しく仏道修行をする者が多くいて悟りを開くことができる時代で「解脱堅固(げだつけんご)」の時代と定められてます。それから次の第2の500年間は、人々が大乗経を修行して、心を静めて仏を思う行に励む時代で「禅定堅固(ぜんじょうけんご)」の時代と定められてます。
(以上1000年間を正法時代といいます。)

そして次の第3の500年間は、経典の読誦や説法を多く聞くことが盛んになる時代で「読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご)」の時代と定められてます。
そして次の第4の500年間は、多くの寺院や仏搭が造られることが盛んな時代で「多像搭寺堅固(たぞうとうじけんご)」の時代と定められてます。
(以上、正法時代の次の1000年間を像法時代といいます。)

そして次の第5の500年には、釈迦仏が説いた仏法のなかでそれぞれの修行者の主張の争いが盛んになり、紛らわしくわかりにくくなり、正しい法が隠没してしまうであろうと予言されておられます。
(以上、正法時代・像法時代の2000年以降の時代を末法の時代といいます。)



(仏法が次第に形骸化していき、正しい法が隠没する末法に我々は生まれ合わせたんですね'_'主師親の三徳を具備されてる大聖人の仏法をさらに真剣に学んでまいります '〇'/)




  1. 2010/06/09(水) 00:00:00|
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撰時抄・7 末法

 末法の現状と真実について大聖人の語らいは続きます^^

 258頁4行目~

【答人】ところがこの『末法』という時代の修行について、人々の考え方はさまざまであります。

中国の道綽禅師や日本の法然は、「末法に入ればそれまでの白法が消滅するので念仏を唱えたらいい」
と釈尊の経に依らない悪思想を主張して、わが日本国は一同にこの悪義に染まってしまい今に50余年に至ります。

わたくし日蓮はこれらの念仏の悪義を破折することにことに力と時間を費やしてきました。

かの大集経の白法隠没の時は今の時代であることは疑いのないところであります。

但し、かの白法隠没の次には、釈迦仏自身が『法華経』において、釈迦多宝十方諸仏が見守るなか、上行菩薩等の地よりか湧きたる菩薩に付属された法華経の肝心である『南無妙法蓮華経』の大白法があります。末法においては、この妙法こそ全世界の人々が唱え伝え広宣流布していく経であります。



(御書に八万の国の王臣下並びに万民までもとあります。

八…八とは開く義です。
万…万とは末法万年塵未来際です。
国…国とは民衆や世界です。

なので末法の全世界中の人々に開かれた末法真実の経が日蓮大聖人の勅命を承った地よりか湧きたる創価学会SGIが大聖人のこの撰時抄の御文を現実に証明していることになりますね
\(^o^)/)





  1. 2010/06/10(木) 00:00:00|
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撰時抄・8 証文

 「末法は、法華経の肝心である南無妙法蓮華経の大白法が、一閻浮提(全世界)に広宣流布する『時』である。」
と大聖人が宣言されました。
そして更に対話は続きます。^^

 258頁18行目~
【問人】その証文はどこにあるのでしょうか?

【答人】法華経第7巻の薬王品第23には「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、この閻浮提において断絶させてはならない」とあります。
この経文は、釈迦仏滅後のいろいろな500年単位の時が説かれた先にも述べました大集経の、第5の500年の「白法隠没」の次の時を明確に説かれていて、「広宣流布」!と明言されておられます。

また、法華経第6巻の分別功徳品第17には、「悪世末法の時、能く是の経を持つ者」とあります。

また、法華経第5巻の安楽行品第14には、「後の末世の法が滅しようとする時」とあります。

また、法華経第4巻の法師品第10には、「しかもこの法華経は如来の現在にすら、なお怨嫉(おんしつ)が多い。ましてや如来滅度の後には、さらに多い」とあります。

また法華経第5巻の安楽行品第14には、「一切世間には怨(あだ)が多いので信じがたい」とあります。

また、法華経第7巻の薬王品第23には、あの大集経で説かれてた第5の500歳の「闘(言+争)堅固」(とうじょうけんご)の時の様子が説かれてて、「悪魔や魔民やもろもろの天、竜、夜叉(やしゃ)、鳩槃荼(くはんだ)等のいろんな名前の怪物が怨(あだ)となってその便りを得るであろう」と明記されてます。

また大集経には、「我が仏法の中において、闘い言い争い訴訟沙汰になったりするであろう」とあります。
さらに法華経第5巻の勧持品第13には、「悪世の中の出家者」とか、「あるいは閑静なところに居て」とか、「悪鬼がその身に入る」とか明記しておられます。



(これらのものと戦うために『悪世末法の時に経を能く持つ』創価の使命大なり!
 '〇'/)




  1. 2010/06/10(木) 00:00:01|
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撰時抄研鑽・9 文の心

 大聖人が対話のなかで更に文の心について語られていきます^^

 259頁6行目~
【文の心は】第5の500歳という「末法」の時、悪鬼が身に入った大僧(位が高く崇められている立場の僧侶)らが国中に充満する。

その時に、『悪世末法の時に能く是の経(南無妙法蓮華経)を持つ者(信心の行者)』である【智人】が一人出現する。

そして、かの悪鬼が身に入った大僧が、時の王臣や万民に語らって、悪口を言って罵倒したり、杖や木や瓦礫(がれき)などで迫害してきて、流罪や死罪にしようしてくるであろう。

その時に!釈迦・多宝・十方の諸仏がまず地涌の大菩薩らに仰せ付け、大菩薩はまた梵天・帝釈・日月・四天等に申しくだして謗法を責めていかれるために、諸天は反応され、その時に天変地異が盛んに起こるであろう。
それでも国主等がその諫めを用いずに、謗法を続けるならば、隣国に仰せ付け、それらの国々の悪王や悪比丘等を責めていかれるならば、
【※前代未聞の大闘じょう】が一閻浮提(全世界)に起こるであろう。

その時に、日・月が照らすところの四天下の一切衆生は、戦禍に襲われ、あるいは国を惜しみ、またあるいは我が身を惜しむがゆえに、一切のそれぞれの信仰の仏菩薩に祈りをかけるが、一向に治まらず解決するあてがなく困り果てる。
そして、ついに、万民がただの一人の小僧だとそれまで憎(にく)んでいた『悪世末法の時、能く是の経を持つ者』たる『一人の智人』を信じて、無量の大僧や八万の大王や一切の万民が、ことごとく頭を地につけ、掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経と唱えるであろう。
それは、例えば、神力品の十神力の時に、十方世界の一切衆生が、一人も残らず娑婆世界に向かって大音声で釈尊に帰命したように、南無妙法蓮華経と唱えるであろう。


【※】「どんなことがあっても第3次世界大戦は断じて起こさせないという使命からも、我々は第2次世界大戦をもって『前代未聞の大闘じょう』と【決定】しよう!」

と池田先生は東西冷戦、また核拡競争が全世界で渦巻く中、「学会精神」として、また「撰時抄の魂」として宣言されました。




  1. 2010/06/11(金) 00:00:00|
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撰時抄・10 学習

 しっかし、気付けば固っいブログになってしまった^^;(苦笑)
御書学なので、いたしかたないのもあるが、罰は自分持ちということで、出来るだけ現代用語に挑戦したいと思います。
『義に依って、語に依らざれ』だ!^^;
意味合いの本筋だけ変えないように心して、できる限り日常用語に近付けてみたいです。(大聖人様、勝手なことを言って本文を汚して申し訳ありません ^人^;)


 対話が続きます^^

 259頁15行目~
【問人】なるほど!経文は明快ですね!
ところで天台や妙楽や伝教は未来のこと何か言ってますか?

【答人】未来を何か言ってますか?ってあなたの言いぶんはあべこべですよ!
いろんな人師の発言を聞いて、じゃあその発言は仏が説いたどの経に依るものか?というのならわかりますが、仏がハッキリと経に説いておられることなのに、人師は何んと言ってるのか?っていうのなら、人師が違うことを言ってたとしたら、あなたは経のほうを捨てて人師の発言のほうをとるとでもいうのですか?!

【問人】まったくおっしゃる通りです。すいません。…ただ、僕も凡夫ですから、つい…、遠き仏の経よりも近い人師の発言を聞けば納得がいき、信心を深めることができるかなぁと思いまして。つい…尋ねてしまいました。





(^^;ん~ん…分かりやすくなるけど、めっちゃ長ったらしくなってしまいますな…
厳しいですし、短く分かりやすく伝えるってほんまに難しいですね^^;
ちょっと今後のブログの展開考え直してみますわ(笑)ん~………すいません
m(_ _)m)






  1. 2010/06/11(金) 00:00:01|
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57・紡(つむ)ぎ出す

 久しぶりの随筆です(笑)^^

以前牧口先生の誕生日に書いたブログで学会の歴史を紹介するのに、牧口先生と戸田先生のお二人の師匠の対話の中から『創価』という言葉が『パッと湧き出た』と僕は表現しましたが、

今日の聖教新聞の法悟空(池田先生)著の小説『新・人間革命 敢闘8』には、池田先生がお二人の語らいの様子を更に詳しく綴り明かされてます^^(感動)。

そして最後のほうで、時計の『針』と縫い物の『針』を架けておられ、

「師弟の語らいのなかから、『創価』の言葉は【紡(つむ)ぎ出された】のである。」

と表現されてるのを読んで、
綺麗な詩的な表現だなぁと感じました(感動)^^

そして、「あ!【湧く】って一人の生命内の表現やけど、【紡ぐ】ってお二人の間の生命の表現やなぁ!文字通り価値創造って関係性の向上やなぁ!
しかし、なんとも言えん美しい表現やなぁ」
と今更ながら、池田先生が世界桂冠詩人だというのを如実に実感した次第です^^。

早い話が【紡ぎ出す】って表現に凄いなぁと思った一人です^^
池田先生ありがとうございます。




  1. 2010/06/12(土) 00:00:00|
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撰時抄・11 戦う人用の書

 そうかねっとさんより有難い改善アドバイスを頂きましたので、試行錯誤しながら挑戦していきたいと思います^^。

 (259頁18行目~)
【大聖人の発言が続きます】
「今云く汝が不審ねんごろなれば少少釈をいだすべし」
(あなたが真剣に考えておられるようですので、いくつか人師の言葉をあげてみましょう。)
「天台大師云く」
(天台大師が言うには)
「『後の五百歳遠く妙道にうるおわん』」
(『後の500歳という末法の時代に入れば遠く未来永劫に妙法が流布して人々の心や暮らしや国土を利益して豊かにうるおっていくでしょう』と言っておられる。)
「妙楽大師云く」
(妙楽大師が言うには)
「『末法の初め冥利無きにあらず』」
(『末法の時代が始まれば下種の利益が必ずあるでしょう』と言っておられる。)
「伝教大師云く」
(伝教大師が言うには)
「『正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり、何を以て知ることを得る、安楽行品に云く末世法滅の時なり』」
(『正法時代や像法時代が過ぎ去って、末法の時代がすぐそこまで近づいている。妙法を流布するのはまさにその時である。何でそれを知り得たかと言えば、法華経の安楽行品に末法の世で正しい法が混沌としていい
  1. 2010/06/12(土) 00:00:02|
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撰時抄・12 戦人用明書

 ※言いたいところでぶつ切りになってしまった嗚呼(>_<)
撰時抄・11の続きです。

【伝教の釈の最後のほうです】
「『経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり』云云」
(『法華経法師品には仏が存在されていた時ですらなお怨嫉がひどく盛んに起こっていたのに、仏が滅度された後にはさらに怨嫉がひどく盛んに起こってくるであろう。との仏が説かれた経の言葉は
まことに重要なことを明かされている真実の言葉である。』
と伝教も述べておられる。)




☆大聖人は、今の末法という時代において、三類と戦う人に【だけ】バッチリ納得いくように【御書】を遺されている!!!
いわば『戦う人用に明かされている書』が御書なんだ!!!
御書とは戦人用明書なり!
\(◎o◎)/
激励の生(なま)の声が、ど真ん中からビンビン伝わってくるように認(したた)められているんだ!!!
と感じました
L(・o・)」

感謝のなかの大感謝なりです(超嬉涙々)☆






  1. 2010/06/12(土) 00:00:03|
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58・史実

 今日6月13日といえば、日寛上人が書写された、SGIの方々に現在流布されている御本尊の書写日です。
(享保五年六月十三日)^^

この御本尊で僕が一番凄いなぁと思うところは、
末法の法華経・日蓮大聖人の仏法が全世界に広宣流布していく事実の歴史上に於いて、
第二次宗門問題の一番大事な【時】に、つまり、日顕が御本尊を民衆支配の道具として利用し、三類の強敵の棟梁として学会をなきものにしようと斬首の刀を振りかざしてきた前代未聞の大難の【爾(その)時】に、【時】を感じて学会を守護する為に出現された事です。
\(^o^)/

大聖人が遣使として派遣されたとしか言いようの無い、誠に不思議な尊き仏事であります。
恐らく学会総体の広宣流布の歴史上で一番ドラマチックな【時】だと思います^^。

【仏は時に応じて必ず出現される】という現実の証拠の一つです
\(^o^)/

広宣流布に命を注(そそ)がれた日寛上人も今の学会の姿を心から慶祝されてることと感じます。^^

さらなる広布に歓び勇んで精進してまいります!
\(^o^)/




  1. 2010/06/13(日) 00:00:00|
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撰時抄・13 あれこれ

 人それぞれ あれこれ 想うこと 感じること 立場 執着 みな違うのは当たり前なので 御書拝読を通して 思うがままに 価値的に向上し 学んでいくのがいいと思うし 各人各様にしか 拝せないし それでいいと思うし そうしかできないと思います なので あらためて 個人的にひっかかりを感じて調べて へ~ ってなったことや なるほど! ってなったことや よし頑張ろう!となったことを 思うがままに 自由に書いていこう と思います なにかのたしになりますように
^^





  1. 2010/06/13(日) 00:00:01|
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59・劫

 「義に依って語に依らざれ」といわれるが、語句に引っ掛かってしまった(笑)
撰時抄拝読中に『住劫第九の減』とあり『劫(こう)』とはそもそもなんだろうと思い調べると、時間の数の単位らしい。宇宙の星々一つ一つはそれぞれ寿命がある。ガスやチリが集まって星が誕生するまでが成劫。赤ちゃん期。安定し人が住めるようになる時期が住劫。青年期。寿命が尽き星が壊れる時期を壊劫。壮年期。老年期。宇宙のガスやチリになって散らばり次の成劫までの間を空劫。冥伏期。となり成住壊空(じょうじゅうえくう)というサイクルを永久に続行している。人の生老病死のサイクルと同じである。
その成劫住劫壊劫空劫の変化相はあるものの、サイクルが永久続行なので、宇宙生命自体は本有常住の永遠の寿命。その星々一つ一つは変化相で見るため有限の寿命に思われるが生命自体は永遠。と仏法では説かれているのである。

成住壊空の一つ一つの劫は物凄い時間をかけてやがて移り変わる。
その住劫の途中で人が生活する時期が訪れ、人の平均寿命が百歳から十歳の間を物凄い時間をかけて増減をするとのことで、一つの住劫内でその百歳から十歳の間の寿命増減が20回ぐらい行われるとのことです。

「釈尊の出世は
  1. 2010/06/14(月) 00:00:00|
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撰時抄・14

 さて釈尊の出世は地球の住劫期の第9回目の増減の減の時期の、人の寿命が100歳とされてる頃に出現されました。
その100歳と10歳の増減を繰り返す中間に生きる人々のために法を説かれました。
まずは在世50年。
そして正法像法2000年。
そして末法10000年未来永劫の人々のためにです。

その期間に法華経が流布する時が2度あります。

いわゆる、釈尊在世の8年間。そして釈尊滅後末法の始め500年です。

それなのに天台や妙楽や伝教たちは、釈尊在世当時の法華経に生まれ会えず、また、末法の法華経の時にも生まれ会うことができずに、中途半端な時に生まれてしまったと思い、その事を嘆いて、末法の始めを恋い慕って、このように書かれたんです。



【260頁4行目~7行目・通解に挑戦^^;】

☆成住壊空の住劫とかのスケールからいったら、ほんまに今、末法の一人として大聖人の仏法を学び、広布の団体に所属してるって奇跡的な確率やなぁ

ブログ革命の試行錯誤は続きます^^
  1. 2010/06/14(月) 00:00:01|
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撰時抄・15

 天台・妙楽・伝教らが末法の時代に生まれ会うことが出来なかった悔しさを例えるのに、大聖人は『例(れい)せば阿私陀仙人(あしだせんにん)が悉達太子(しったたいし)の生れさせ給いしを見て悲んで云く』と故事をあげられてます。
阿私陀仙人はバラモンの長老で、悉達太子は釈尊の出家前の太子であった時の名前でシッタルダの音写です。

阿私陀仙人は釈尊が産まれたときに、赤ん坊の釈尊の相を見て、「あ!この子は将来、仏になるかたじゃ!…だがわしはもう90歳を越えておるので、この子が将来仏となり説法するときには、わしは生涯を終えているのでその座に連なることができん。…さらに正像末にもわしは生まれ合わせることができん。…無念じゃ…」
と悲しんだとのことです。

そして大聖人は、
『道心(どうしん)あらん人人(ひとびと)は此(これ)を見きき(聞)て悦(よろこ)ばせ給(たま)え』
と言っておられ、末法の今の広宣流布の時代に生まれ合わせたことを歓喜していきなさい。と仰っておられます。^^

\(^o^)/





  1. 2010/06/17(木) 00:00:00|
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撰時抄より・16

 大聖人は、正・像2000年間にたとえ大王として生を受けることよりも、『末法の今の民』として生きていること自体が、どんなに有難く素晴らしいことかと強調されておられます。

そして、『彼(か)の天台の座主(ざす)よりも南無妙法蓮華経と唱うる らいにん とはなるべし』と仰せられ、
たとえ邪宗の偉いさんとして生まれても【時】の教えじゃ無いので害毒のみで何の利益も無い。
逆に、たとえ重病の苦しみを背負っているかたであっても南無妙法蓮華経という【時】の教えを実践出来るという立場で闘えるほうが幸せなのである。
と【時】が優れていると断言されておられます。

そして、中国の南北時代の梁(りょう)の武帝(ぶてい)というかたが道教(どうきょう)を捨てた時の願いの言葉を引き合いに出され、
『寧(むし)ろ提婆達多(だいばだった)とな(成)て無間地獄(むけんじごく)には沈むとも欝頭羅弗(うずらんほつ)とはならじ』と故事を紹介されます。

欝頭羅弗は外道の仙人で、若き釈尊が出家したときにあちこちで盛んに修行をしてたなかの仙人の一人です。
釈尊は欝頭羅弗に教えを受け外道の修行をしましたが、すぐに欝頭羅弗の教えを理解します。しかし、教えに満足がいかずに、そのもとを離れ、その後菩提樹の下で魔を克服し、自分も宇宙も共に永遠の生命なり と悟達します。そして梵天の勧めを承って、法を説き始めようとしたとき、「あ!この悟りを欝頭羅弗さんに語ろう!きっと理解されることだろう!」と喜んで欝頭羅弗のもとを訪れましたが、欝頭羅弗は釈尊が悟りを開く約7日前にこの世を去っていたとのことです。

結局、敵対したが仏法に縁することが出来た 逆縁の人 提婆達多にはなっても、敵対はしなかったが仏法に縁することができなかった 無縁の人 欝頭羅弗 にはなりたくない


と時の教えに巡り会う尊さ、不思議さ、有り難さを 大聖人はいろいろな故事を引かれ 末法に生まれ合わせたことを繰り返し強調されておられます。

^^




  1. 2010/06/18(金) 00:00:00|
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60・思い出す

 例えたら
車で走ってて あれ ここどこやろ? あれ おかしいな とか言いながら ともかく走ってたら ある時 何かの目印を見て あ~ここか! 思い出した^^ と言いながら 続きを走って行く

そんな感じです

全体のなかの自分の位置を知り落ち着くような感覚

楽しさが沸くのは不安が消えた瞬間ですね


ただし!



ただし!
(なんで二回いうねん^^)


迷って走ってるときも

思い出して走ってるときも

どちらも事故には気をつけて走って行きましょう

というお話でした^^

(なんじゃそれ)
(いゃ わかる人には わかるでしょう^^)


悟前悟後どちらも安全運転を心掛けましょう
虚空会スタッフからのお知らせでした^^


  1. 2010/06/19(土) 00:00:00|
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