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赤ポスの随力筆喜

63・一歩

色は匂えど
 散りぬるを

我が師も 我が身も
 常ならむ

不二の霊山(りょうぜん)
 現今(いま)と観て

深き祈りで
 丈夫(ますらお)と立て

オー('o')/



7月3日に広布の一念と師の魂を肚に据えた弟子は戦後の焼け野原に一歩踏み出され、

7月3日に正義の一念と師の魂を肚に据えた弟子は国家の権力との闘争に一歩踏み込まれ、後に公に無罪を証明された。


『師弟常勝の記念日』が、
7月3日であります。


『王法 仏法に勝たず』は、信念を貫く正義の人にして始めて証明出来る事なり。



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  1. 2010/07/03(土) 00:00:00|
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64・小山 谷 大山

 タイトルは三人の名前ではありません(笑)^^
先生の指導からの抜粋です。


戸田先生……【戸】
池田先生……【池】


【池】戸田先生の指導を紹介しておきたい。
昭和26年、初信者中心の合同座談会でのお話である。

【戸】山にみた場合、最高の山の頂上が成仏であり、利益の最高である。
成仏とは、永遠の生命を感得することであって、いつ、いかなるときにでも、絶対の幸福で、成仏といってもことばではあらわせないため、死ぬまでに物心両面が満ち、その証拠をとる。
初信の功徳は、山へ登ることであり、成仏は、それよりも高い山へ登るのであって、これは世法のご利益を得るのではない。

【池】すなわち、成仏という『妙覚の高山』に登るのが信心の目的である。
初信の利益は、その手前の低い山である。

【戸】低い山から最高の山へ登る中間には、かならず谷があり、この谷に、みなさんは迷う。

【池】初信の功徳の次には、三障四魔と宿命転換の谷を通らなければならない。
その谷の向こうに高い山がある。
それなのにこの谷で疑いを起こしてしまう。

【戸】これこそ鬼子母神、十羅刹、魔王の試練で、初信の者は、これに驚き負けてしまう。
この第六天の魔王の試練の罰に負けてはならない。
谷へ落ちたとき、これでなるものかと、最高の山へ登るためにいちど谷へ落ちたことを信じ、よくよく小山より大山へ登る谷へ、考えをいたさなければならない。

【池】と。どうか、この指導を深くかみしめ、成仏の山への不退の登はんを、お願いしたい。
ともあれ、競い起こる障魔に屈し、退転の道を歩むようなことだけはないよう厳に戒めていきたい。


★それぞれのV字の鋭角地点で負けない信心を共々に貫いていきましょう!
(^^)v




  1. 2010/07/04(日) 00:00:00|
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65・永戦

 永遠に仏と魔は戦い続けます。

どちらも何かを守る為に。
仏軍は民衆を守る為に。
魔軍は権力を守る為に。

永きに亘る戦いのなかで、お互いに守るものが浮き彫りになり、浮かび上がってきます。

粘り強き対話により、無智であったものに光が指し、それを知り、勇んで仏軍に参加します。

仏軍と魔軍の永戦は続きます。

無智のものが智者となり、戦いの途中で自分の考え方のみに固執して、魔軍の働きかけに疑いを起こし、やがて智者が邪智の者になり、魔軍に参入してしまいます。

仏軍と魔軍の永戦は続きます。

仏軍の粘り強き勇気の対話により、邪智の者が自らの邪を知り、改心し、再び仏軍に参入してきます。

永戦は続きます。

無智の者や邪智の者は、仏軍の粘り強き勇気の対話により改心し、やがて改心できた者は仏軍に再び参入することができました。

でも、無智を改めない者や邪智を改めない者は魔軍に加勢したままです。

仏と魔の永戦は続きます。

やがて権力を頑なに守る魔王が悪心の者として正体を顕し、無智の者や邪智の者をたぶらかして仏軍に更に襲いかかってきます。

悪心の者は権力を守る為に、仏軍の正しさを知りながら、しかも、改めることなく、あらゆる手段で仏軍を攻撃してきます。

タチの悪いことに、悪心の魔王は、仏軍が正しいために、権力とは権りの力なんだ とあばかれることを嫌います。

それは民衆を利用できなくなり、保身が維持できなくなり、自らの魔王としての権力を失なうことを恐れるからです。

何よりも民衆が智慧を開き、気付き、体制が人道主義に変わるのを恐れるからです。

仏軍の粘り強き勇気の対話が、権力第一の魔王を糺し、民衆第一の本来の人道の姿を取り戻し、人類未聞の時代、民衆王座の時代の開花が、一輪、二輪と、一人、二人と、開幕の訪れを告げるのです。^^

仏軍と魔軍の永戦は続きます。


如説とは師匠なり。
修行とは弟子なり。
師弟不二の共戦なり。
民衆勝利の勇戦なり。


人類の幸福の為に仏と魔の永戦は続きます。





  1. 2010/07/06(火) 00:00:00|
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66・勇舞

 今日の聖教新聞に、先生が『若き君よ7月を勇み舞え㊦』と 題し、随筆を発信されている。

ともかく悔いなく戦いきって、勝ちきれとの深きメッセージを発信されている。

浅きを去り、深き広布の丈夫として戦いきって勝ちきれとのメッセージを込めて、【広布丈夫舞】と記した書を紹介されている。

 僕はこの先生が記された書を見て、一生成仏抄の御文の一節を思い出しました。
『故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名(なず)くるぞと深く信心を発(おこ)すべきなり』

誠にもったいない我見ではありますが、この御文をお借りして、先生の書を拝見した印象を言えば、

『故に広布と誓い丈夫と就かん時は我が振舞いを指して広布丈夫舞と名くるぞと深く行力を発すべきなり』

とのメッセージを先生が発信されている印象を感じとりました。

悔いなく戦いきって、勝ちきるのみです。

信力。

行力。

悔いなく。




  1. 2010/07/08(木) 00:00:00|
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67・発信

 池田先生が今日の聖教新聞に『世界の同志へ』大聖人の御聖訓を発信されてます。
『我並びに我が弟子・
諸難ありとも
疑う心なくば
自然に仏界にいたるべし』

諸難と闘う人への最大の激励ともとれますし、
また、諸難を勝ち越えた人への最大の喝采ともとれます。

闘う人と勝ち越えた人との間に、
【疑う心なくば】
と念を押されているところに、何があっても諸難に紛動されずに大きく前進していきなさい との深きメッセージを感じます。
戸田先生の
『最後の勝ちをば仏にぞ祈らむ』と詠まれた心を池田先生が大聖人のこの御聖訓に祈りを込めて発信されているように感じます。


嗚呼~紅の~♪




  1. 2010/07/11(日) 00:00:00|
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68・愚痴

 愚痴は毒薬。
わかってて愚痴るのは毒された証拠かな(爆)^^;
勝ったら喜びで見えなくなるものがあります。
負けたら醒めたように見えてくるものもあります。

選挙区は完勝!
比例区は個人的に応援した候補が惜敗。
数字は厳しい。嘘をつかない。

総体として絶妙のバランス(笑)で終えたので、今後、権力の甘い汁に誘われて、あっちにフラフラそっちにフラフラって、前の教訓踏みにじるような行動とった暁には、金輪際応援しない!(笑)
という忠告的愚痴だけ申し上げておきます。

全国の同志の方々血の滲むような激闘お疲れ様でした。

また一から修行していきます。

大きく深く前進してまいります。




  1. 2010/07/13(火) 00:00:00|
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69・750年

 立正安国論提出満750周年記念日。

7月度の大白蓮華の50ページから特集で掲載されているので、しっかり学んでいきたいです。





  1. 2010/07/16(金) 00:00:00|
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70・三秘論

 三大秘法抄の(1023頁)
『此の法門は義理を案じて【義】を【※つまびらか】にせよ』(※こまかく かつくわしく はっきりさせよ)
『此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)・【地涌千界の上首として】日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決相承せしなり』


あっちこっちで口決相承をやいのやいの論議されてますが、
この御本尊は一閻浮提総与の(全世界の一切衆生に与えられた)御本尊です。

僕は一番大事な点は、読み流されがちな、
【地涌千界の上首として】という一点を三大秘法の条件付けとされているところです。
久遠元初の生命を開くその条件を【地涌千界の上首として】と記されていて、久遠元初の使命をもともと受けている自分自身の生命を自覚された表現です。地涌という使命を自覚された生命の表現です。

これが三大秘法の内容であり、肝心です。

現実の末法に、現実の人間として生まれ、現実に妙法を広宣流布する生命を開き示す。
現実に全世界に広宣流布している創価学会員だけが、現実に地涌の使命を自覚して行動し、この御文を現実に身口意で読んでいる。広布の先頭に大聖人直結の信心の学会員がいるのです。
【地涌千界の上首として】の学会員の生命に大聖人の生命が宿っているのです。
だから宇宙規模で諸天諸仏が盛んに働くのです。


これが僕の抱く三秘論です。^^

※非難号号だろうが、そんなもん知ったこっちゃないです(笑)^^





  1. 2010/07/19(月) 00:00:00|
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71・前向き

 落ち込んだとき、または更に頑張ろうとするときには、
自然と前向きに生きる力を欲するものだ。

その欲する心が
前向きな人の姿勢や前向きな記事などに触れて、前向きな自分の目を醒ます。

前向きを欲する気持ちが前向きな縁を呼び醒ます。

一念って不思議だなぁと
つくづくそう思います^^

「心の師とはなるとも心を師とせざれ」

師匠を求める一念って本当に大切ですね
暑き夏を一つ一つ勝ち越えて

師匠の【心】に応えていく日々でありたいです。




  1. 2010/07/22(木) 00:00:00|
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72・大白

 大白蓮華8月号が届いた^^

ここ最近一番興奮して、研ぎ澄まされる感じがして身体中が活性化するのが大白蓮華の新刊号が届けられたことに気付き、厳粛なる思いで随喜して拝読するときだ と気が付いた。
^-^

〇〇さん、いつも配達ありがとうございます^^ m(,,)m ^^




  1. 2010/07/23(金) 00:00:00|
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73・あの時 どの時 天の時

 そうかねっとさんの そうかねっとのアンテナ というので同志の方々のブログを時々チェックさせて頂いてます^^(感謝)。

その中でユマニテさんの 宗門問題についての再掲 の記事を読んで感化されました^^。素晴らしいです。

当時支部協で支部の皆さんが集まり、色々協議を勧めていた時に、ある一人の地区幹事のかたが、唐突に「支部長!あの猊下っていうか…あえて阿部と呼ばして貰うけど、豪邸に住んで豪遊してるらしいな!」と第一声を挙げられました。当時男子部の地区リだった僕はびっくり!しました。その当時は猊下の周りのものが猊下を悩まされているという認識の時代でした。その時の支部長は「そのことは…終わってからまた後で云々…」と。支部協のみんなは凍り付いてました(笑)。

今から思えば、地区幹事さんの発言は正しかった。^O^(凄い)
当時池田先生もスピーチ途中に側近の秋谷会長のほうへ視線を移され、「立派な二代目もいるけど、だらしない二代目もいるね」と漏らすように秋谷会長に語られていたのを覚えてますが、僕ははじめなんのことか判らなかったです(笑)。
そして牙城会任務中に不破優さんというかたから「地涌」なる記事が毎日1~2枚ファックスで送られて来て「誰からやろなぁ」と最初いぶかしげに思いながらも読んでいました^^。
そしてある時、我慢の限界が訪れるように秋谷会長から同中で全面的に戦う姿勢が示され、池田先生の和歌が発表されました。

当時の皆さんは覚えてらっしゃるでしょうか。僕は覚えてます。
【天の時
  遂に来たれり
   創価王】

この池田先生の和歌が狼煙(のろし)のように挙がり、永きを経て、日寛上人書写本尊の授与決行にて、SGIに赫赫(かっかく)たる末法の法華経の令法久住が現実に拓かれたのです!!!
\(^o^)/

創価ルネサンスの決定打です。

民衆の民衆による民衆のための新時代の開幕です。
【魂】のルネサンスです!
万歳
\(^o^)/
\(^o^)/
\(^o^)/







  1. 2010/07/25(日) 00:00:00|
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74・要

【人生は生命力!】



(※些細なことでも生命力が弱ければ潰れてしまう。
逆に、如何なる困難でも生命力が強ければ乗り越えてゆける。
大聖人の生命哲学の実践以外に根本からの生命力の湧現は無し。
肝心要(かんじんかなめ)のフレーズで自他共の幸福を鼓舞する応援団として、ここに、簡単なフレーズではありますが、宣示顕説致します。
誰人にても実践の歓びを掴まれんことを!
人生は生命力!
'o'/)





  1. 2010/07/27(火) 00:00:00|
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御書学習・25

『撰時抄』(268頁)
「総じて月支(インド)より漢土(中国)に経論をわたす人・旧訳(くやく)・新訳に186人なり 羅什三蔵(らじゅうさんぞう)1人を除(のぞ)いては いづれの人々も誤(あやま)(※言偏が立心偏)らざるはなし」

インドから中国へ経論が渡る際の翻訳者が186人もいてたことを確認されてる大聖人が凄まじく凄いです^^

その中で鳩摩羅什(くまらじゅう)1人だけが正しく翻訳して、その他の185人は皆何処か間違って翻訳していると大聖人が仰ってます。
この言葉を受けて質問者が なぜ羅什だけが正しい訳経者と判るのですか? と質問してきます。

大聖人は「此の事は余が第一の秘事なり」と仰って、続けて有名な舌が焼けなかった故事を紹介されます。
羅什はインドの言葉も中国の言葉も精通していて正しく伝えたとよく言われてますが、この御書のところをよく吟味すると、実は大聖人御自身もインドの言葉や中国の言葉に精通されておられるからこそ、羅什の徳を見抜いておられたんだ!と感じます。それを秘事と仰っておられるものと推察致します。(大聖人様間違ってたら申し訳ありません^^;)

「仏教を習ふ法には大小・権実・顕密はさてをく これこそ第一の大事にては候らめ」
と仰っておられ、正しく翻訳することが一番大事と強調されてます。

やっぱり、これを知っているということは、大聖人は梵字・漢字をお読みになることができる証拠だと思います。

まったくもって凄いです!^^

余談ですがこの羅什は、常不軽菩薩のことを、他の訳者は「軽んじられていた菩薩」と訳したのに対して、【軽んじなかった菩薩】と訳したとのことです。
客観的じゃなく主観的に訳されている特徴がありますね^^

羅什の最高級名訳は、言うまでもなく
【妙法蓮華経】です。(感謝)


お世話になってます^^




  1. 2010/07/30(金) 00:00:00|
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