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赤ポスの随力筆喜

75・核

 核抑止論がいまだに蠢いている

抑止論者こそ最も卑怯者の発言だと強く思う

死ぬまでに核は絶対悪という思想が世界常識となり

核なき世界の現出の証を見届けてから

死んでいける境涯になりたい




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  1. 2010/08/06(金) 00:00:00|
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御書学習・26

 『撰時抄』292頁17行目終わりまで拝読。
「仏は説き尽し給えども 仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至 天台・伝教の【いまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法 経文の面に現前なり、此の深法・今末法の始(はじめ)五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやの事不審極り無きなり。】」

正法時代像法時代にまだ広まっていない【最大深密の正法】がはたして本当に広宣流布されるのだろうかと問人の求道心を刺激するように大聖人が不審を立てられます。

「問う いかなる秘法ぞ 先ず名をきき(聞)次に義を きかんと をもう」

問人が秘法の名前と意味を教えて欲しいと言ってきます。

「此の法門を申さん事は経文に候へば やすかるべし 但し此の法門には 先ず三の大事あり」

大聖人はそれは経文を見ればはっきりしていることだ と言われ、「此の三の わざわひ とは所謂(いわゆる)念仏宗と禅宗と真言宗となり」
と、本尊戒壇題目の三大秘法をここでは問人に応えられずに、まず法華経に対する【謗法】を責めておられます。
池田先生の講義に依ると「『最大の深密の正法』を明かすには『顕正』と『破邪』の両面があります。本抄では、まずは『破邪』を表に立てて論じられています。」
と講義されてます。

日本国に法華経誹謗の充満する現実に即して、まずは破折から行動に移される大聖人は、【末法の法華経とは現実の現状自体を変革していく教えだ】ということを身をもって示されている。と感じました。広宣流布は「破邪」「顕正」両面に亘る活動ですね。



  1. 2010/08/13(金) 00:00:00|
  2. 御書学習
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御書学習・27

 大聖人は念仏宗・禅宗・真言宗をそれぞれ仏の説かれた経文を根本にして破折されていきます。

そして、「欽明より当帝にいたるまで七百年 いまだ きかず いまだ 見ず 南無妙法蓮華経と他人をすすめ我と唱えたる智人なし」
「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事 あえて疑ひなし、これをもつて すいせよ 漢土 月支にも 一閻浮提の内にも 肩をならぶる者は有るべからず」
と【一閻浮提第一の法華経の行者】であるとの、深き強き確信を宣言されます。
「問うて云く 正嘉の大地しん 文永の大彗星は いかなる事によつて出来せるや」
と問人が大地震や大彗星の天変地異の瑞相はどういう訳があるのか尋ねてきます。
それに対して、大聖人は天台の釈をひかれて「智人は起を知り 蛇は自ら蛇を識る」
と自覚している確信を端的に述べられます。
さらに問人は「問て云く【心】いかん」
と、その心は?と突っ込んで尋ねてきます。
それに対し、
「答えて云く 上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば 弥勒菩薩・文殊師利菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩の 四十一品の無明を断ぜし人人も 元品の無明を断ぜざれば愚人といはれて 寿量品の南無妙法蓮華経の 末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたるとは しらざりしという事なり」
と大聖人は大地震大彗星の天変地異は、上行等の地涌の菩薩を呼び出す瑞相である!と確信され、悪の根源の元品の無明を断じる妙覚の法華経の行者とは実は御自身であられる!との確信を吐露されます。
「日蓮は凡夫なり、此の事を しるべからず といえども 汝等にほぼこれを さとさん」
と御自身は凡夫であると御謙遜されながらも、「ほぼこれを さとさん」と問人の目の前に存在する大聖人御自身が誰なのかを、経文から観ても、諸天の大瑞相から観ても、理路整然と問人が気付くようにうながされます。
そして、大瑞相は念仏者や禅宗や真言宗の者が大聖人に迫害を加えることに対して諸天が怒っている現証である。と大宇宙規模の一切法を所持された上行菩薩の徳を現実に示されます。

悪人ありという事疑いなし。
また、
智人ありという事疑いなし。

凄すぎます\@@/





  1. 2010/08/14(土) 00:00:00|
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御書学習・28

 『撰時抄』
 この上行等の地涌の菩薩について、池田先生は、
「【生命尊厳・人間尊敬】の新しい世界を築くことこそ【我が使命なり】と目覚めます。そして、困難な現実にも敢然と立ち向かって、変革と創造の【道】を歩み始めるのです。
これが、法華経に説かれる【地涌の菩薩】です。
一人の変革から、万人の変革へ、世界の変革へ、正義と希望の波動を広げていくことが【地涌の義】であります。」

と講義されてます。

元品の無明を断じる【道】を、現代人の言葉で、しかも宗教用語じゃなく誰にでもわかる言葉で、

【生命尊厳・人間尊敬】

との根本的な人類の指標を講義で述べられます。

この指標の道を人類の万人が歩み続けるならば、悲惨な戦火なき国土が必ず現出すると感じます。


池田先生が法華経方便品寿量品講義や法華経の智慧を連載されてる時代には、阪神淡路大震災やヘールボップ彗星やハレー彗星などの大瑞相が起こってましたが、


……これは秘すべし秘すべし
です。'';


池田先生は撰時抄講義の締めくくりにて、
「世界広宣流布の絢爛たる実証へ、『身命も おしまず 修行して 此の度 仏法を 心みよ』との御聖訓を身で読む時は、まさに【今】この時です。
人類の境涯を開く、私たちの不惜身命の大闘争は、いよいよ、これからなのです。
  撰時抄講義・完」
「世界広宣流布五十周年の時に
わが愛する青年部に
【閻浮提広宣流布】の
未来の一切を託しつつ――」

と結ばれて託されておられます。

(嗚呼僕壮年部や~
と嘆かずに(笑)、常に青年の志、心意気で、未来永劫の令法久住の万人三世成仏の為の【今】と自覚して、精一杯随力弘通に努めてまいります。''/
霊山一会 永遠たれ!あとは弟子側!
日天も月天も明星天も梵天も帝釈も魔王も舎利弗も、み~んな見てはる''
やるしかない!)






  1. 2010/08/14(土) 00:00:01|
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76・志詩王

 今日は池田先生が戸田先生と運命的な邂逅をされて、満63周年のその日であります。^^

池田先生は、その座談会のことを友人に「生命哲学の話がある」と誘われ、そこにおられた戸田先生の立正安国論の大光に触れられ、その後の質問会で率直な生命哲学の本質に触れられ、即興詩を詠じられました。
多分、池田先生は初めての出会いで当時は、【地涌の菩薩】という言葉は知らなかったと思いますが、戦後の焼け野原にも【時】が来れば若芽が生じる、不思議で力強い生命力と、これからを生き征く希望とを重ね合わせ詠まれた即興詩に、池田先生の人生の不思議さが如実に表れてることに、只只不思議としか言いようが無いです。@@

地涌の四徳が即興詩の中に現れていて、驚嘆の極みです。

『旅びとよ
 いずこより来り
 いずこへ
 往かんとするか』
では真実を求める求道者の生命が表れていて、
『月は 沈みぬ
 日 いまだ昇らず』
では釈迦仏法から大聖人の仏法に転換する黎明が訪れる兆しのようでもあり、

『夜明け前の混沌に
 光 もとめて
 われ 進みゆく』

では【浄行】の徳が現れていて、

『心の 暗雲を
 はらわんと』

では【無辺行】の徳が現れていて、

『嵐に動かぬ
 大樹求めて』

では【安立行】の徳が現れていて、

『われ 地より
 湧き出でんとするか』

では【上行】の徳が現れていて、

この即興詩に、求道者・釈迦仏法・日蓮仏法・そして四菩薩と。
創価仏の一人たる戸田先生は、この即興詩をお聴きになられた時は、度肝を抜かれる程ビックリされたことでしょう。

多分、この場での一番の感動を覚えたかたは、参加の中でも、特に、牢獄で法華経を身で読み、地涌の自覚を懐かれていた戸田先生自身だったろうと推察いたします。

変な言い方をすれば、獄中の悟達と同じくらいの感動をされたんだろうと感じます。


^^;えーっと……
色々と勝手な事を申し上げ、誠に恐縮致します
m(_ _)m

これが個人ブログの醍醐味(笑)というか、…
…良さでしょうか?
…悪さでしょうか?
…果たして…(滝汗)

ともかく、
池田先生
【世界平和詩人】賞
大変おめでとうございます。
\^o^/





  1. 2010/08/14(土) 00:00:02|
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御書学習・29 報恩抄

 久しぶりの更新になります。すいません。自らを叱咤し、鼓舞しながら、また大聖人の御書を学んでいこうと思います。^^;

 大聖人は西暦1222年(承久4年)2月16日、日本国土、安房小湊(あわのこみなと)の貫名重忠邸(ぬきなしげただてい)に三国の太夫(みくにのたゆう)というお父様と梅菊女(うめぎくにょ)というお母様のもとに漁師の子として、生を受けられました。
童名は善日麿(ぜんにちまろ)という名前だったとのことです。
そして西暦1233年5月12日、12歳のときに安房国(あわのくに)の清澄寺(せいちょうじ)に登られ、道善房(どうぜんぼう)を師匠として、仏教を学んでいかれます。

そして、西暦1237年10月8日、16歳のときに、出家剃髪(しゅっけていはつ)されて、是生房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)と改名されます。

そして、鎌倉に遊学に出られ、比叡山に登り宗教の奥義をきわめられ、その後数年にわたり、京都や奈良や高野山等をも究め得たものを確認されるかのように仏法を研鑽されます。
そして、西暦1253年(建長5年)4月28日、32歳のときに、故郷に帰り、清澄寺の諸仏坊の持仏堂の南面で題目を唱え、諸々の宗教の邪義を破折され、『南無妙法蓮華経』との第一声を師子吼されます。
そして、末法の法華経の行者との御自覚から自らを『日蓮』と名乗られます。

仏教研鑽の旅から別人のようになって帰ってきた弟子の姿に触れ、道善房は、「ぎょっ!ぎょえ~(*[]*) 知らんで知らんでワシャ知らんで~!」
(このセリフは言ったか言ってないかは定かではありません。あしからず。m(_ _)m)

となってしまい、そばでは、地頭の東条景信が怒り心頭!

とばっちりを恐れてた道善房は、自分のほうから師弟関係を断ち切って、シレ~っと敵側に回りました。


{つづく^^/}





  1. 2010/08/21(土) 00:00:00|
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御書学習・30 報恩抄

{つづき}

 (報恩抄の入り遠すぎましたかな(笑)^^;)

 さて、シレ~っと敵側に回った道善房に、大聖人は心を痛められながらも、なんとか悟達したところのものを御伝えしたいと想われながらも、なかなか会う機会がなく、弘教を続けていかれます。

その後11年程月日は流れて、西暦1264年(文永元年)11月11日、大聖人が43歳のときに、東条の小松原で、東条景信らの襲撃に遭われ、頭に傷を被り、左腕を折られます。(小松原の法難)
その3日後の11月14日、大聖人は亡き父の墓参りと病身の母のお見舞いのために郷里に戻られてましたが、師匠の道善房と会う機会は「今しかない!」と思い立たれ、大聖人は道善房と久しぶりに対面され、「念仏を捨てて、法華経を信仰してください!」と厳しく諫められます。
しかし、道善房は臆病の心に負けて、「ん~そうはいってもなぁ~それはちょっと…」と心を濁します。
ところがどっこい!大聖人のもとに、なんと道善房が法華経を持つに至る!という知らせが舞い込んできます。
大聖人は「師匠はついに邪見を翻し、善人になられた!法華経の経文のままに申し上げたことが通じたんだ!日蓮はとうとう師匠のご恩を報じることができた!」と大変喜ばれました。
しかし、西暦1271年(文永8年)9月に竜の口の法難、10月に佐渡流罪と50歳の大聖人に激しい大難が降り続く中で、佐渡に流されてる大聖人に対して、ただ一度の便りも寄こさない事実を鑑みて、「結局、法華経を信じてはおられない…」と、またも道善房は信心していないと気付きガッカリされます。

何度裏切られても、幼少の頃からお世話になった道善房を、大聖人は決して見捨てませんでした。


{つづく(;;)}




  1. 2010/08/21(土) 00:00:01|
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御書学習・31 報恩抄

{続き;;}

 報恩の一念を胸に秘め、大聖人は、竜の口の法難、佐渡流罪を勝ち越えられます。
 やがて赦免になり、鎌倉に帰られ、そして、鎌倉を出て身延山に入られます。
そして、西暦1276年(建治2年)大聖人55歳のときの3月に、出家時の師匠・道善房がこの世を去ります。
そして、この年の6月、大聖人は道善房の死去の知らせを受けます。
大聖人の胸中は、いかばかりの思いであったことでしょうか……。

そして、この一次元から見れば、裏切られ続けたと言ってもおかしくはない、この亡き師匠に対して、それでも恩義を抱き、そのご恩に報いるためにも。との思いで7月に認められた御書が、この
『報恩抄』です。

大聖人は報恩抄を弟子の日向(にこう)に届けさせ、清澄寺時代にお世話になった兄弟子(あにでし)の中でも特に弟弟子(おとうとでし)の大聖人に対し、温かく弟弟子の成長を心から歓んで見守ってくださった、浄顕房(じょうけんぼう)と義浄房(ぎじょうぼう)の二人に対して、この御書を送られ、亡き師、道善房の墓前と、嵩が森(かさがもり)という所で読み上げるように託されます。

この報恩抄は大聖人の御書の中でも、五大部に入れられていることから見ても、重要な御書であります。

本当の報恩とは如何なるものか。ということを、しっかりと学び、大聖人の思いに触れて、信心を深めていきたいと思います。
(^^)




  1. 2010/08/21(土) 00:00:02|
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御書学習・32 報恩抄

『報恩抄』p293-1行目~
『夫(そ)れ 老狐(ろうこ)は塚(つか)をあとにせず 白亀(はくき)は毛宝(もうほう)が恩(おん)をほう(報)ず 畜生(ちくしょう)すらかくのごとし いわうや人倫(じんりん)をや』

{通解} 年老いたキツネは、自分が生まれ育ち暮らしてきた塚のことを決して忘れずに、自分が死ぬときでさえも、足を向けずに、頭を塚の方向へ向けて、塚を敬うようにして死んでいくとのことです。
また、白亀(はくき)という白い亀は、あるとき川で漁夫に捕まり、そこを通りかかった毛宝(もうほう)というかたがそれを見て、自分の着物と交換してほしいと漁夫に申し出ます。「ありがたい」と漁夫は喜んで着物を受け取り、毛宝に白い亀を引き渡します。すると毛宝は白い亀を川へ逃がしてやります。
後年、毛宝が城の警備に着任していたとき、敵の大軍に攻撃され、陥落した城を命からがらのがれて、川岸にいたったときに、むかし川へ逃がして助けてあげた白い亀が奇遇にも現れて、「背中にお乗りください」と申し出て、毛宝は白亀の背に乗り、川を渡り、危険をまぬかれたとのことです。
動物でさえも、このように恩を報じることがあるとのことです。
ましてや、人間であるならば、なおさらのこと。恩を知り、恩に報じていくことは大切なことであります。


☆冒頭で大聖人はこのように述べられてます。
信心されるに越したことはございませんが、相手が信心しているしていないに関わらず、縁した恩義を大切にされる大聖人は、まさに人間主義を貫いておられると感じます。
仏であっても、人間でなくなるんじゃなく、より人間性豊かに、生命の根本からの追善に徹しておられる姿がにじみ出ておられると感じます。''




  1. 2010/08/21(土) 00:00:03|
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御書学習・33 報恩抄

『報恩抄』(293頁1行目~2行目)
《語句》
【予譲(よじょう)】
 「中国・戦国時代の晋の忠義の士。
主君・智伯(ちはく)が襄子(じょうし)に滅ぼされたので仇を討とうとしたが、襄子に捕らえられた。
襄子は主君の恩に報いる予譲の義に感じて釈放した。
その後、予譲は襄子に再度捕らえられたが、襄子の衣(ころも)を請い受け、仇を討ったしるしにこの衣を刺した後、自ら剣(つるぎ)に伏して自害した。」

とのことです。


【弘演(こうえん)】
 「中国・春秋時代の衛(えい)の[イコウ]の忠臣。
殺された主君の死体が食い荒らされ肝(きも)のみが残っているのを恥辱と思い、自ら腹を割いて主君の肝を中に隠し、主君の恥(はじ)を隠して死んだと言われる。」
とのことです。


☆昔の賢者の恩に報いる 報い方は、殺すか殺されるかの血で血を洗う、戦乱時代の渦中での恩義に対する報い方なので、やはり凄まじいものがあります。'';


《文上読み》(もんじょうよみ)と
《文底読み》(もんていよみ)がありますが、今の時代にこれを文上読みしたら、とんでもない大惨事になってしまいます'';
文底読みでこの恩義に報いる、応えゆく、思い、一念、生命、今の時代の、今の人生において、文底で、しっかりと読んで応えいきたいです。^^



  1. 2010/08/28(土) 00:00:00|
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77・自由私見

 えー そもそも、僕はあまりカテゴリーを上手く使いこなせてませんし、【御書学習】とのカテゴリーでは、自由な研さんがなんとなく窮屈に感じて、前に進みづらい感じを抱いてる部分もあるので、ここからしばらくは、【随筆】のカテゴリーで、赤ポス現時点での個人的解釈…早い話が我見(爆)…ええようにゆうたら私見(笑)
ってほんま勿体無いことゆうてますな(爆)

えー… で、書いて(?)喋って(?)述べていきたいと思います。^^

こと この御書に関しては、おかしなこと書けないという無言のプレッシャーみたいなものを感じてしまい、なかなか取り組むのにおっくうになってしまっています。
…まぁそんなことかんがえてるの僕だけかも知れませんが、
なので拝読の度に感想 感じること 解釈 発見 実感が 変わってくるはずなので、
とりあえず
【今後訂正または消去をやむなくされる可能性のある現時点での精一杯の赤ポス的個人的解釈 私見】
で しばらく挑戦していきます。
個人ブログの本来の自由発言を実験的に楽しんでみたいと思います。^^

(ただし、責任を回避するものではないです^o^/
っていうかこと生命仏法に関する因果応報 自業自得の峻厳さは自覚しているつもりですので
おふざけではありません
あしからず(^^)でわでわ)





  1. 2010/08/28(土) 00:00:01|
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78・報恩抄愚釈(1)

 【私(わたくし)に会通(えつう)を加え、本文を汚(けが)すが如(ごと)き愚釈(ぐしゃく)】
(※皆様の参考にはならない赤ポス現時点の個人的愚釈です。ご注意ください。
m(_ _)m)


『報恩抄【愚釈】』
「日蓮之を撰す」を赤ポス之を愚釈に挑戦す

 昔の故事によりますと、年老いた狐が生まれ育った塚に対して、狐自身死ぬときでさえも足を向けずに、頭を塚に向けて恩義を敬うような態度を貫き通して死んでいった。とか、白い亀が毛宝(もうほう)という男に助けられた恩義を忘れずに、その恩返しをした。といったことを、読んだり聴いたりして学んだことがあります。
これらは動物のことですが、動物でさえも、恩義を忘れずに、恩に報いることがあるとのこと。ましてや人間ならば、尚更のこと。恩を知り、恩に報いていくことは、とても大切なことであります。
恩に報いたといえば、昔の予譲(よじょう)という名の賢者や、弘演(こうえん)という名の賢者たちの、主君の恩に報いるために忠義を貫き通して死んでいった、美徳の史実もあります。
ましてや、仏教という生命のことが説かれた法を習う者であるならば、父母からの恩や、師匠からの恩や、生きている国土の恩を忘れるはずなど決してありません。
これらの大いなるご恩に報じていくためには、必ずや、仏法という生命究極の法を習い究めて智者と成ってこそ、はじめて、生命根本からのご恩返しが出来ると信ずるものであります。


(☆愚釈を始めてしまいましたが、乗り掛かった船!(恐縮笑)
やれるだけやってみましょう。^^;
わからない箇所は、思いっきり跳ばすかも知れません。(恥)
随力愚釈(笑)
自業自得の因果応報は、
大聖人の眼
(◎_◎)
におまかせ致します。)
(恐縮拝)




  1. 2010/08/29(日) 00:00:00|
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80・報恩抄愚釈(2)

 (仏法という生命根本の法を極めてこそ、はじめて、この大恩に生命根本からの恩返しが可能になるというものでしょうか)
 たとえば、大衆を幸福境涯に導くには、しっかりとした民衆根本・人間の幸福根本という目的を抱いていないと万人をリードすることはできません。
風の向きを計算できない人が舵(かじ)にぎれば、宝の山どころか、何処へたどり着くのかわからなく、不安が募る一方です。
仏法を習い極めようと思うのであれば、それだけの尽力に要する時間がなければ極められません。仏法を極めるために時間を作り出し尽力を惜しまないという姿勢であるならば、父母や師匠や国主が言うことに対して妄信的に表面的にただ、やみくもに従うというだけでは、万民を絶対的な幸福境涯に導くことはできません。
生命根本の法を弁えていない父母や師匠の心には従わないようにすることです。
こう言えば諸々の人々は、「いや、それはおかしい」「それは間違った考えだ」と批判の意見を言ってきたり、言葉には出さなくても、心の中で そんなことは間違いだ と思うでしょう。

しかし、外典の孝経の中にも、父母や主君に従わないで、忠臣や孝行人となった方々もいるのです。
内典の仏教にも『表面的なしがらみの恩を棄てて、自然なままの振る舞い、正しいものは正しい。間違いは間違いだと正直に振る舞うことが真実の報恩の者である』とあります。

たとえば中国の比干(ひかん)という人が、仕えていた王の非道を諫めたために殺されましたが、後にその王の世も滅亡しました。そのことで、やっぱり比干の王への諫めは正しかった。賢人である。と後の歴史が証明しました。
(牧口先生もしかりです^^)
悉達太子(しったたいし)(釈尊の太子時代の名前)も父の浄飯大王からの王位継承に背き、出家して、つまり親の言い付けに背いたとしても、後に、三界第一の「孝者」となられた実例もあります。




  1. 2010/08/30(月) 00:00:01|
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