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赤ポスの随力筆喜

82・真理についての考察

 よく真理は研ぎ澄まされたものとか、素晴らしいものとか、一部の聖者のみが知り得た境地とか世間ではよく言われるが、そうじゃなくて、真理とは『あるがまま』森羅万象の諸法実相であるから、どこにでもあり、常に真理の現れなのである。みんなの命は十界互具した生命なので、地獄界の生命境涯も真理の現れであり、仏界の生命境涯も真理の現れであり、畜生界の生命境涯も菩薩界の生命境涯もすべて、常に、真理の現れなのである。
『あるがまま。ただし仏界以外の生命境涯は除く』ってことじゃなく『あるがまま』は『あるがまま』何界であろうと、ちゃんと真理の現れなのである。
だから『真理イコール幸せ』と説く教えはすべて間違いである。
地獄も真理。仏界も真理なのである。

言い換えれば、幸福も真理の現れで、不幸も真理の現れなのである。

だから、真理は三世十方永遠に十界互具の生命自体のことであり、善の生命も悪の生命もどちらも立派に真理の現れなのである。

牧口常三郎先生はカントが真理を価値論のなかに入れたことを、『真理は認識の範疇であり、価値は評価の範疇なので、真理を価値と言うことは間違いだ!』と誰しも信じて疑わなかったカントの価値論に対して、ノーを突き付け、『真理は価値じゃない!』と主張された。


この生命境涯をより良きものへ変革する作業こそが正しい価値なり!と主張された牧口先生の先見の明は、超凄まじいものであり、今後、時が経てば経つほどに、光輝く、智慧の大光だと信じて疑わないものです。
\(^o^)/

凄すぎます。






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  1. 2010/09/03(金) 00:00:01|
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83・報恩抄愚釈(3)

(愚釈(2)の続き^^)
{「内典の仏経に云く『恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり』」
本当の報恩の者とは、表面的なしがらみにとらわれずに、自然なままの振舞いで、正しいものは正しい。間違いは間違いだ。と振舞うことが真実報恩の者である。例えば比干(ひかん)や悉達太子(しったたいし)のように。}

このような意義を踏まえて、父母や師匠に従わずに、『仏法』というものをひもといてみると、(※ちょうど大聖人が出家され、仏経を研鑽遊行されてる当時の体験内容とこの御書の内容とが重ね合わせて綴られていきます^^)

仏法は一代聖教なのに、10種類の10宗に分かれて存在している。
いわゆる、
①倶舎(くしゃ)
②成実(じょうじつ)
③律宗(りっしゅう)
④法相(ほっそう)
⑤三論(さんろん)
⑥真言(しんごん)
⑦華厳(けごん)
⑧浄土(じょうど)
⑨禅宗(ぜんしゅう)
⑩天台法華宗(てんだいほっけしゅう)

の10宗である。

世間の学者等は、この10宗を手本とすれば、一切経の心を知ることができると思っていて、この10宗は皆10宗共にそれぞれ 正直に仏道の道を照らしていると勘違いしている。

(天に二日無し!正しい教えは一つのはずだ!^^
どれでもいいと言う奴は混沌宗の教祖か!(笑)^^)





  1. 2010/09/27(月) 00:00:00|
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84・報恩抄愚釈(4)

 この①~⑩の宗派のうち、①②③(倶舎・成実・律宗)の3つの宗は小乗教であり、「民の消息の是非につけて」つまり、個人的な手紙のやり取りのようなもので、特定の人だけに対して説かれた教えであって、それがそのまま不特定多数の万人に通用する大乗の教えではないので、役に立たない。
④~⑩の7宗は大乗の教えと謳っているので、これらを学んで自他共に救っていこうと思って、よくよく学習してみたところ、「我が宗が最高だ!」「いいや我が宗こそが最高だ!」ってな感じで大自慢大会になっている。

⑦華厳宗では杜順(とじゅん)・智イ嚴(ちごん)・法蔵(ほうぞう)らが、④法相宗では玄奘(げんじょう)・慈恩(じおん)・智周(ちしゅう)・智昭(ちしょう)らが、⑤三論宗では興皇(こうこう)・嘉祥(かじょう)らが、⑥真言宗では善無畏(ぜんむい)・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)・弘法(こうぼう)・慈覚(じかく)・智証(ちしょう)らが、⑨禅宗では達磨(だるま)・慧可(えか)・慧能(えのう)らが、⑧浄土宗では道綽(どうしゃく)・善導(ぜんどう)・懐感(えかん)・源空(げんくう)らが、皆それぞれに「われは一切経を悟った!」「いいやわれこそが仏意を究めた!」と本物は誰だ状態になっている(笑)

世間の人々は、こんな宗教の偉いさん方々が言ってるんだから、間違いないだろう あ~有難い 有難い っていずれの宗派の言い分も正しいんだろう と思い込み、まるで諸天が帝釈をうやまうように、また衆星が日月に従うように敬っていて、疑うことを知らない。

「日蓮が愚案晴れがたし」
(※大聖人は正直にこのことは納得いかない!という感想・主義・主張をされます^^)

皆それぞれ 俺が一番 俺が一番 って言ったとしても、国主は1人のはずだ! 2人も3人も居てたら、まとまるものも、まとまらなくなり、国土がおだやかにならない。一家にご主人二人居てたら必ずもめる。
一切経 一代聖教も同じ原理だ!。必ず一切経の中に大王たる一経の存在があるはずだ!。
一経こそが主のはずだ!7人も10人も主人がいてることに対して平気でいるほうがおかしなことだ!
どねんしたらこの宗派の高低浅深の混沌を整理整頓できるのか……

【経文を師として!だ!】゚o゚
「法に依って 人に依らざれ!」
「了義経に依って 不了義経に依らざれ!」




  1. 2010/09/30(木) 00:00:00|
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